山脇信徳

没年月日:1952/01/21
分野:, (洋)

 国画会々員山脇信徳は故郷高知市で孤独な生活を送つていたが1月21日同市の自宅に於いて胃出血のため急逝した。享年65歳。明治19年高知市に生れ、同43年東京美術学校西洋画科を卒業。在学中第3回文展に出品した印象派風な画面の「停車場の朝」は世評高く、画壇への華やかなデヴューであつた。第8回文展「午後の海」は宮内省買上となり、第11回文展「疎林」、第4回院展「湖畔」で受賞した。後京都、満洲等で中学教師を勤め、大正14年から18年に亘つて欧洲に遊学、この間国画創作協会々員となる。帰朝後は郷里にあつて国画会々員として同展に出品していたが晩年は余り振わず、昭和23年第22回国展に「高知名所」を久々に出品したのが最後となつた。
略年譜
明治19年 2月11日高知市に生る。父は蒔絵古代塗を創始した人。
明治40年 第1回文展「町の橋」出品。
明治42年 第3回文展「停車場の朝」出品3等賞。
明治43年 東京美術学校西洋画科卒業。
明治45年 滋賀県立膳所中学教諭となる。
大正3年 第8回文展「午後の海」出品。宮内省買上げとなる。
大正6年 第11回文展に「疎林」、第4回院展洋画部に「湖畔」出品受賞。
大正7年 第12回文展「叡山の雪」出品。院展に「金碧山水」出品。
大正11年 渡満、南満州中学、奉天中学、奉天高女の教諭となる。同地結成の春陽会々員となる。
大正14年 渡欧。
昭和2年 第6回国画創作協会々員となる。
昭和4年 帰朝。郷里高知に居住。之より作品発表次第に少くなる。
昭和20年 高知県洋画協会創立。会長となる。
昭和22年 高知県美術展覧会創立。審査員となる。
昭和26年 高知県文化賞を贈らる。
昭和27年 1月21日高知市の自宅にて急死

出 典:『日本美術年鑑』昭和28年版(135頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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