国盛義篤

没年月日:1951/07/28
分野:, (洋)

春陽会々員、京都市立美術大学助教授国盛義篤は7月28日ランドリー氏麻痺のため入院中逝去した。享年54歳。明治30年5月6日広島県山県郡に生れ、大正12年広島一中を経て京都市立絵画専門学校卒業、在学中関西美術院にてデッサンを学んだ。同13年第2回春陽会展に初入選し、その「橋」および翌14年の「坂道」、15年の「水辺初夏」が連続春陽会賞となり、昭和9年会員に推挙されて今日に至つた。昭和22年京都市立美術専門学校助教授、24年教授となり、25年同校学制改革により大学に昇格、その助教授に任ぜられ、絶えず京都にあつて後進の指導に当つた。作風は終始写実に立脚し、初期に於ては卒直素朴、深い色調乍ら温くふくよかであり、後期に至り漸次温雅な渋い美しさをたたえ静かで重厚な画面を創つた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和27年版(137頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「国盛義篤」『日本美術年鑑』昭和27年版(137頁)
例)「国盛義篤 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8883.html(閲覧日 2024-04-24)
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