山口正城

没年月日:1959/12/05
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 日本アブストラクト・アート・クラブ会員、国立千葉大学工学部工業意匠学科教授山口正城は、12月5日気管支肺炎のため逝去した。享年56歳。明治36年(1903)1月22日北海道旭川市の洋品店に生れた。大正15年(1926)東京高等工芸学校卒業後、大阪市立工芸学校教諭に就任し、以来デザイン教育にたずさわりながら、制作を続けてきた。自由美術家協会には第1回から出品し、3回展の小品5点は2・3の新聞評にも取上げられた。人間を取囲むすべてのものの中に美を探るのは美術家の常であるが、そこから美をパターンとして抽出し、意識的に造形の原理と照合し、原理に汲み込むということは実技家には少ない態度である。彼の日本美術界における位置の特異性はそこにあつた。そして純粋な形体構成に関心を抱く以上、高等数学や自然科学にも造詣が深く、多分に知的な興味を伴いながらも、ひからびたパターンの組合せに終ることがなかつた。作品は当初から全く抽象的であり、自由美術家協会展出品以外には制作の数は限られているが、近年になつて他の抽象展などにも出品するようになつた。日本紙に墨または淡彩の画面にカラスグチで引いた鋭い線でリズムを与えた最近の作品はしだいに認められてきたところであつた。デザイン学会前委員長。
〔作品記録〕自由美術家協会1回展(1937)「形態No.3」(フオトグラム)、2回展不出品、3回展(1939)小品「分岐せるもの」「集合せるもの」「模倣せるもの」「対話態」「包囲せるもの」協会賞受賞、4回展(1940)小品連作「屈折」「分散」「分割」「分列」「拡散」「隔在」5回展から12回展まで不明、13回展(1949)「線群」(分離構造)、(屈折構造)、(習作)、14回展(1950)「モルペー」A、B、「線群」A、B、15回展不明、16回展(1952)「デッサン52-15」、17回(1953)「カノン」1(空虚における)、2(対抗における)、3(流動における)、4(休止に向う)18回展不明、19回展(1955)「溶けるカノン」、20回展(1956)「朝のカノン」21回展(1957)「凍るカノン」、22回展(1958)「朝の歌」
日本国際美術3回展(1955)「鬼の執心」「鬼の変心」、4回展(1957)「夏のこだま」(水彩)、5回展(1959)「雷心」
現代日本美術1回展(1954)「鬼の対話」A、B、(水彩)2回展(1956)「黒いカノン」「赤いカノン」、3回展(1958)「5月の雨」「炎の歌」
抽象と幻想展(1953、国立近代美術館)「視線方向のカノン」日米抽象美術展(1955、国立近代美術館)「男鬼のささやき」「女鬼のささやき」
世界の中の日本抽象美術展(1957ブリジストン美術館)「春のこだま」「おさないカノン」「冬の山彦」「たそがれ」
世界の中の抽象・日伊美術展(1959・白木屋)「近づくもの」(遺作)
(海外展)アブストラクト・アーティスト展(米・リヴァサイド美術館・1954)、ブルックリン国際水彩画展(米・1955)、アメリカ水彩画協会展(米・1957)、日本3人展(伊・1959)等に出品。
〔デザイン〕山葉ピアノ・三協8ミリカメラ他
〔著書〕「新しい紙の工作」新光閣1952、「デザイン小辞典」(共編)ダヴィット社1955、「機械とデザイン」河出書房1956、「デザインの基礎」(共著)光生閣1960、「造形とは」美術出版社1960

〔略歴〕
明治36年 旭川市に生れる。
大正15年 東京高等工芸学校卒業、大阪市立工芸学校図案科教諭
昭和14年 京都市立第二工業学校玩具科教諭
昭和14年 自由美術家協会を美術創作家協会と改称し会友となる。
昭和15年 同会員
昭和19年 滋賀県琵琶航空工業株式会社技師
昭和22年 滋賀県高宮木工補導所長
昭和23年 大阪市立工芸高等学校へ復帰
昭和23年 6月、東京工業専門学校教授
昭和24年 千葉大学工学部工業意匠学教室助教授
昭和27年 同教授
昭和28年 日本アブストラクト・アート・クラブ設立
昭和34年 自由美術家協会退会・日本抽象作家協会設立
昭和34年 12月5日死去

出 典:『日本美術年鑑』昭和35年版(144頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「山口正城」が含まれます。
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