田中以知庵

没年月日:1958/03/15
分野:, (日)

元日展審査員、日本画家田中以知庵(本名兼次郎)は狭心症のため、3月15日、川崎市の自宅で逝去した。享年64歳。旧号咄哉、別号一庵。明治26年7月14日東京市本所区に生れた。同42年春、松本楓湖塾に入門、翌年巽画会展に「清水寺」を初出品、また紅児会展に「扇面売」、美術研精会展に「陶淵明」を出品した。速水御舟と親交あり、紅児会、美術研精会で画才を認められたが、この頃から釈宗活師につき禅の研究も進め、大正元年同師から咄哉の号を、7年には別号一庵の居士号を受けている。春陽会の創立に客員として迎えられ、昭和の初めまで出品していたが、同4年に小室翠雲に推されて南画院同人となり、同展に移つた。尚美展には連年出品、また昭和13年文展に招待をうけ「仙苑」を出して以来文展、日展は尚美展とともに作品発表の主な場所となつた。他に個展、あるいは風堂、三良子らとの三人展などがある。
略年譜
明治26年 7月14日、東京市本所区で石鹸製造販売業田中彦太郎の次男として生れた。
明治42年 松本楓湖塾入門
明治43年 第10回巽画会展「清水寺」。紅児会展「扇面売」
明治44年 第9回美術研精会展「陶淵明」
大正元年 咄哉の号を釈宗活師より受ける
大正2年 第10回研精会展「箱根山」「聞香」
大正3年 研精会審査員となる
大正7年 朝鮮に1年遊学、宗活師より一庵の号を受ける
大正8年 研究団体、木鐸会を結成、第1回展に「塩原温泉」「宇津谷峠」。第11回研精会展「伊豆半島巡り」
大正12年 第1回春陽会展に客員として招かれ、「伊豆風景」「林道」を出品
大正13年 第2会春陽会展「緑陰浴客」。尚美会展「山茶花」この年から尚美展には毎年出品
大正15年 第4回春陽会展「伊豆風景」「秋」
昭和元年 帝劇「法場換子」の装置をする
昭和4年 第7回春陽会展「十和田湖」「奥入瀬」。南画院同人に推され、第8回南画院展に「南浦遅日」出品
昭和5年 小室翠雲と再び渡鮮
第9回南画院展「★麗春夢」「煙雨」
昭和6年 第10回南画院展「富士山麗五趣」
この年から咄哉州と改める
昭和7年 第11回南画院展「山」「海」
昭和8年 第12回南画院展「水精」
昭和9年 読売新聞連載小説、長谷川伸「鼠小僧唱祭」の挿絵執筆
昭和10年 第14回南画院展「日之出」「入り陽」東京、大阪の高島屋で第1回個展開く
昭和13年 第2回文展「仙苑」
昭和14年 第3回文展「東海天」
昭和15年 第4回文展「浄光」。奉祝美術展「豊潤」
昭和21年 以知庵と改める
昭和23年 第4回日展「冬の陽」。美術協会展「清澄」
昭和24年 第5回日展審査員となり「山彦」出品。美術協会展「長閑」
昭和25年 第6回日展(審査員)「白夜」。美術協会展「緑蔭浴客」
昭和26年 第7回日展「甲州路」。美術協会展「多摩春耕」
昭和27年 第8回日展「春の海」
昭和28年 第9回日展「霜晨」
昭和29年 第10回日展「月影」。美術協会展「水郷十二橋」
風堂、以知庵二人展
昭和30年 第11回日展「沼田の夕」以知庵近作発表会(三越)
昭和31年 第12回日展「春の伊豆」。美術協会展「夏日水辺」。風堂、三良子、以知庵三人展
昭和32年 第13回日展審査員として「潮」出品。風堂、三良子、以知庵三人展。新奥の細道展。美術協会展「多摩の夕陽」
昭和33年 三人展、3月高島屋50周年記念展に「大和月ヶ瀬」出品、絶筆となる
3月15日心筋硬塞のため逝去

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(147頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田中以知庵」『日本美術年鑑』昭和34年版(147頁)
例)「田中以知庵 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8864.html(閲覧日 2024-03-28)

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