太田聴雨

没年月日:1958/03/02
分野:, (日)

日本美術院同人、東京芸大助教授太田聴雨(本名栄吉)は、脳出血のため3月2日上野桜木町浜野病院で逝去した。享年61才。自宅鎌倉市山ノ内878。明治29年10月18日仙台市に生れた。同42年上京、43年から大正元年頃まで内藤晴州について日本画を学んだ。その後、友人とともに研究団体青樹社を結成したが11年には他の団体と合同し、第一作家同盟の運動に参加した。大正12年大震災ののち運動を離れ、昭和2年に改めて前田青邨に師事し、日本美術院に作品を送るようになつた。昭和5年第17回院展で美術院賞をうけた「浄土変」は院展への初出品であつた。その後は毎年入選し昭和11年に日本美術院同人に推されている。秀麗な作風で知られ、代表作の一つに「箏」のような、静雅な古典的作品があげられる。しかし一方では、「家郷」「青年」など、新しい時代意識を盛りこもうとした制作も試み、この両者の振幅の中に制作の道を求めようとしていたと考えられる。昭和32年銀座松坂屋における個展は、「双美」「光悦」など、新しい制作を展示し、仕事の方向にも、作風にも一転機を思わせたが翌33年急逝した。なお昭和26年以来、東京芸大助教授として没年まで後進の指導に当つていた。
 主な作品に「浄土変」「お産」「種痘」「星をみる女性」「箏」「二河白道を描く」「苔寺須弥山石」などがある。
作品略年譜
昭和5年 第17回院展「浄土変」
昭和6年 第18回院展「かつらぎのおびと」
昭和7年 第19回院展「お産」
昭和8年 第20回院展「杉橋検校」
昭和9年 第21回院展「種痘」(京都市買上)
昭和11年 第23回院展「船路」改組第1回帝展「星を見る女性」
昭和14年 第26回院展「悲田院」
昭和15年 第27回院展「大雅」
昭和16年 第28回院展「壁画」
昭和22年 第32回院展「箏」
昭和23年 第33回院展「二河白道を描く」
昭和24年 第34回院展「家郷」
昭和25年 第35回院展「苔寺須弥山石」
昭和28年 第38回院展「青年」
昭和29年 第39回院展「浴泉」
昭和30年 第40回院展「華山と椿山」
昭和31年 第41回院展「牡丹芳」
昭和32年 東京銀座松坂屋で個展開催
昭和33年 3月2日没

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(146-147頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「太田聴雨」『日本美術年鑑』昭和34年版(146-147頁)
例)「太田聴雨 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8863.html(閲覧日 2024-04-25)

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