横山大観

没年月日:1958/01/26
分野:, (日)

 横山大観は、昭和32年暮以来気管支炎のため自宅で療養中であつたが、その後の衰弱はなはだしく、33年1月26日逝去した。享年89歳。本名秀麿。明治元年9月18日水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸市に生れた。明治11年に一家をあげて上京、大観は湯島小学校から東京府中学校、東京英語学校に入学し、傍ら渡辺文三郎に鉛筆画を習つていた。21年母方の親戚横山家を継いで改姓、またこの年東京英語学校を卒業し、結城正明について日本画を学び、翌年、新設の東京美術学校に入学した。26年、「村童観猿翁」を卒業制作として同校を卒業、暫く母校の予備校教師となつていた。ついで、28年京都市美術工芸学校教諭となり京都に赴任、この頃、古美術の模写に従事し技法の研究につとめていたが、翌29年には東京美術学校に迎えられて帰京した。同年日本絵画協会の第一回共進会に「寂静」第2回展に「無我」などを出品、いずれも受賞している。31年、校長岡倉天心の退職とともに同校を退き、日本美術院の創立に参加し、評議員ならびに正員となつた。以来、日本美術院と日本絵画協会の聯合共進会に作品を発表し、天心の日本画革新運動の主要メンバーとなつて新時代の日本画創造に全力を傾けていつた。線描をすてて、いわゆる朦朧体の画法をあみだし、「屈原」「釈迦父に逢ふ」を制作した明治30年代は、新しい日本画をもとめての苦闘の時代であつた。その後、36年に印度、翌年は更に春草等と米国、欧州を巡遊し、帰国後は日本美術院の常陸五浦移転とともに観山、春草等と同時に移住し、研究をつづけていた。明治40年以来新設の文展にはたびたび審査員となり、「流燈」「山路」「瀟湘八景」などを送り新日本画の樹立に答えていつた。然し、大正3年には同志とともに文展を離れ、天心の理想をつぐ日本美術院の再興をはかつてその中心となつて活動した。この頃から、やがて<片ぼかし>とよばれる手法を用い、水墨による独自の様式をすすめ、「生々流転」のようなすぐれた山水長巻をつくりだしている。
大正時代の日本美術院展では「遊刃有余地」「千ノ与四郎」「雲去来」「柿紅葉」などがあり、昭和期に「瀟湘八景」「夜桜」「海・山十題」「野に咲く花」、或は多くの御物、宮家の御用画などがある。昭和12年帝国芸術院会員となりまた、文化勲章の最初の受賞者となつた。この年から昭和期の文展にも出品するようになつた。しかし、昭和25年に芸術院会員は辞退した。晩年は院展のほか、白寿会、雪月花、無名会等画廊展にも出品し、小品が多かつたが、岡倉天心の壮大な東洋美術の理想をうけついだ唯一の作家として、また、明治、大正、昭和3代に亘る近代日本画史に輝かしい足跡を残している。
略年譜
明治元年 9月18日水戸市で水戸藩士酒井捨彦の長男として生れる。本名秀麿。
明治11年 一家をあげて上京し、神田五軒町妻恋坂に居住
明治14年 湯島小学校卒業、東京府中学校に入学
明治18年 同中学校卒業、私立東京映語学校に入学、渡辺文三郎に鉛筆画を習う
明治21年 母方の親戚、横山家を継ぐ。東京英語学校卒業、結城正明に日本画の手ほどきをうける。
明治22年 2月東京美術学校に入学
明治22年 7月東京美術学校日本画科卒業。卒業制作「村童観猿翁」(号秀麿)。卒業後しばらく東京美術学校予備校教師をつとめる。
明治27年 神苑会に関係し、古画模写に従事、中宮寺の天寿国曼荼羅を模写する。
明治28年 4月京都市美術工芸学校教諭となり、京都に移る。また、博物館から古画模写の辞令をうけ、古社寺を遍歴し模写に従事する。「浄瑠璃寺吉祥天扉絵像」「毛利家山水図」「禅林寺、山越阿弥陀三尊像」その他模写
明治29年 3月京都市美術工芸学校を辞し、上京。5月東京美術学校助教授となる
日本絵画協会第1回共進会に「寂静」(署名秀麿)
明治30年 滝沢文子と結婚
日本絵画協会第2回共進会「無我」(この作品から大観の号を用う。)同第3回共進会「聴法」
明治31年 岡倉天心、東京美術学校長を辞任し、4月大観また同志とともに同校助教授の職を辞す。7月、日本美術院創立に際してその正員となる。下谷区に転居、11月日本美術院仙台展で東北に旅行する。日本絵画協会第5回共進会「屈原」「秋思」
明治32年 日本絵画協会第7回共進会「夏日四題」(銅牌)「素尊」「厳子陵」「小春」他
明治33年 日本絵画協会第8回共進会「長城」(銀牌)。音曲課題作品(上方唱)「菜の花」「寒天」他
日本絵画協会第9回共進会「木蘭」(銀牌)、「牧童」他。5月から日本美術院岐阜展のため正員一同とともに岐阜、飛騨方面に旅行
明治34年 夏、信州を廻り天滝川に遊ぶ
日本絵画協会第10回共進会「老君出関」(銀賞)「煙柳」他。同第11回共進会「山間旅行」また研究会、互評会の課題作品に「戯猫」「秋の夕」「茂林青鷺」その他の作品がある
明治35年 1月妻文子没す。3月、春草と頒布会を計画し真美会を結成、秋北陸に旅行
第12回共進会「茶々淵」(銀牌)他。第13回共進会「迷子」(銀牌)「荷塘暁色」他。また研究会、互評会の課題応作「雪中晩帰」「隠棲」など
明治36年 1月春草とともに印度に旅行、5月カルカッタで新作展をひらき7月帰国、秋に春草と近畿、中国地方を旅行
第15回共進会「釈迦父に逢ふ」(銀賞1席)「夏の日」
明治37年 2月岡倉天心、六角紫水とともに渡米、ニューヨークで絵画、漆絵展をひらく
明治38年 4月、春草と英国に渡る。長女初音東京で死去、8月帰国
明治39年 4月春草とともにロンドン・パリ展出品作を日本橋倶楽部で展観。「金華山」「宮の森雨中」など、7月遠藤直子と結婚、12月日本美衆院の常陸五浦移転とともに同地に移住する
明治40年 4月父死去。11月京阪神に旅行、「第1回文展審査委員を命ぜられ、同展に「二百十日」「曙色」を出品
明治41年 4月巽画会の審査員に選ばれる
9月 五浦の住居火災で全焼、上京して上野池之端茅町観月橋畔に仮寓
国画玉成会第1回展「煙月・凍月」
明治42年 巽画会及び文展の審査委員となる
第3回文展「流燈」。国画玉成会第2回展「春の月」
明治43年 6月寺崎広業、山岡米華と中華民国に外遊し7月帰国、さらに米華と山陰地方に旅行、文展審査委員となる。
第4回文展「楚水の巻」。橋本雅邦追善展「冬の柳」他に「日蓮上人」(現東博蔵)、「あをき」など
明治44年 東京勧業博覧会審査委員となり同展に「水国の夜」第5回文展「山路」。他に絵画彫刻展に「晩鴉」(2曲1双)、「山路」(襖絵)など
明治45年 菱田春草追悼展覧会「五柳先生」(6曲1双)第6回文展「瀟湘八景」。他に三越展「新竹図」「達磨」「朧夜」など
大正2年 1月妻直子没す。文展審査委員となる
第7回文展「松並木」。東台画会展「花★」他に「柳陰」(6曲1双)
大正3年 大正博覧会鑑査委員となる。9月下谷区谷中に日本美術院を再興
大正博覧会「若菜」。日本美術院再興(以下院展と略す)第1回展「游刃有余地」
其他「長江之巻」など
大正4年 3月観山、未醒、紫紅とともに汽車を使わぬ東海道旅行を行い、水彩写生と絵巻をつくる。10月未醒とともに荒川を秩父に遡り絵巻をつくる
日本美術院第1回試作展「焚火」。第2回院展「竹雨」「漁樵問答」
其他「東海道絵巻」など
大正5年 日本美術院第2回試作展「長瀞」。第3回院展「作右衛門の家」。新作日本画展「山路」。琅★洞展「荒川絵巻」(大観、未醒作4巻)他に大観会の展観に小品多数を出品
大正6年 第4回院展「秋色」「雲来去」「達磨」。琅★洞展「帰去来」。日本美術院同人作品展「出山釈迦」「漁楽」(6曲1双)など
大正7年 第5回院展「千与四郎」(6曲1双)
大正8年 第6回院展「山窓無月」「喜撰山」「羅浮仙」「八仙花」。日本美術院第5回試作展「雨後」。日本美術院同人作品展「春蘭」「羽衣」。大阪高島屋展「辰己橋夜雨」「糺の森秋雨」(洛中洛外雨10題の内)
大正9年 第7回院展「柿紅葉」「月明」。美術院同人高野紀行作品展「高野旧道」
(この年小杉未醒等日本美術院洋画部同人脱退し、洋画部なくなる)
大正10年 第8回院展「老子」「洞庭の夜」「愛宕路」「紅蓮」。クリーヴランド博物館主催米国各都市巡回展出品作品展示会「しやが」「御社」「朝」「雨後」
大正11年 第9回院展「夜」。第8回日本美術院試作展「朝霧」。三越主催観山・大観展「鶺鴒」「暮色」他。東京会展「華厳滝」
大正12年 第10回院展「生々流転」(長巻)。日本美術院第9回試作展「茶梅」「雨」
大正13年 第11回院展「早春」。日本美術院第10回試作展「春寒」。淡交会第1回展「杏子」「東山」「寒山拾得」
他に皇太子殿下に献上の「御苑の春雨」など
大正14年 第12回院展「山四趣」(雨・霞・風・雪)。日本美術院第11回試作展「夜梅」第2回淡交会展「夕顔」「春の夜」「鶉」
大正15年 第13回院展「龍瞻」「暁靄」。第3回淡交会展「百合花」「曙色」「茄子」。聖徳太子奉讃展「湖上の雨」2月観山等とともに久迩宮家の御下命をうけ襖絵を制作。また皇后陛下に「鸚鵡」を献上
昭和2年 第14回院展「瀟湘八景」。第4回淡交会展「雲揺ぐ」「八哥鳥」「胡瓜」。日本美術院第12回試作展「栗鼠」他、観山とともに早大図書館の壁画「明暗」を描く。他に御物「朝陽霊峯」
昭和3年 第15回院展「蜀葵」。日本美術院第13回試作展「寒牡丹」
他に御物「飛泉」。秩父宮へ献上「秩父霊峰春暁」、又御大典奉祝のため献上画の依頼あり「扶桑第一峰」「筑波山」「鹿島神宮」その他
昭和4年 第16回院展「有明の月」。第5回淡交会展「双竜奪珠」(著色)「梅花」。日本美術院第14回試作展「隼」「双竜争珠」(水墨)。ローマの日本美術展への出品画「夜桜」(6曲1双)
昭和5年 1月イタリア政府主催日本美術展参列のため夫人同伴で速水御舟大智勝観と渡欧、6月帰国、7月帰朝講演をする。
第17回院展「柚子」。第6回淡交会展「達磨」第2回聖徳太子奉讃展「菊花」。7月大観・観山渡伊スケッチ展をひらく、15点出品
昭和6年 6月帝室技芸員となる
第18回院展「紅葉」(6曲1双)。日本美術院第15回試作展「春暁」
昭和7年 第19回院展「朝嶺」「暮岳」「林亭秋色」。日本美術院第16回試作展「雨」
昭和8年 第20回院展「虫の音」(6曲1双、朝日文化賞をうける)。日本美術院第17回試作展「桐の冬」。第7回淡交会展「富士山」「桃」「夕月」
昭和9年 第21回院展「朝霧」。日本美術院第18回試作展「三宝鳥」。第8回淡交会展「春風秋雨」「湖上皓月」「飛瀑」
昭和10年 5月帝国美術院会員となる。第22回院展「飛泉」。日本美術院第19回試作展「五浦の月」第9回淡交会展「杜鵑」「八仙花」「浦風」「山桜」大楠公肖像画展(於美術院)「楠木正成像」
昭和11年 帝国美術院第1回展「龍蛟躍四溟」(6曲1双)第23回院展「野の花」
昭和12年 4月文化勲章令制定される初の受章者となる。6月帝国芸術院会員となる
第24回院展「東海の浜」「夜探し」。第1回文展「雲翔る」。清光会展「林間遅日」
昭和13年 第25回院展「梅花薫る」。第2回文展「皇太神宮」。日本美術院同人作品展「白砂青松」
官幣大社氷川神社へ奉納「秋色武蔵野」。その他文部省から独総統への寄贈画など
昭和14年 第26回院展「烟雨」「麗日」「潤声」、ニューヨーク万国博出品画展示会「夕月」。紀元2600年奉賛展「肇国創業絵巻」(11作家の合作の内大観は日輪を分担する)法隆寺上宮王院本尊大厨子建立奉賛美術展「不二霊峰」。読売新聞社講堂壁画「富士」
昭和15年 第27回院展「首夏」。大観紀元2600年奉祝個人展「海に因む10題」「山に因む10題」。紀元2600年奉祝美術展(後期)「日出処日本・水墨」(陛下へ献上)皇后陛下へ献上「日出処日本・彩色」。秩父宮へ献上「勅題・漁村曙の図」
昭和16年 第28回院展「耀く大八洲」画巻(陛下へ献上)。仏印巡回展内示会「竹林の月」
昭和17年 1月財団法人岡倉天心偉績顕彰会成立し評議員理事長となる。10月同会で天心記念講演会を開き、大観の演題は「天心岡倉覚三先生」
第29回院展「正気放光」「野に咲く花二題・蒲公英、蘇」。満州国建国10周年慶祝絵画展「松籟」
昭和18年 5月社団法人日本美術報国会々長に推される
第30回院展「中秋無月」。第6回文展「雨収」
昭和19年 戦艦献納作品展「南溟の夜」等9点、戦時特別文展「神路山を拝し奉りて」その他海洋美術展など献納画の制作が多い。
昭和20年 静岡県熱海市伊豆山に移住。日本美術報国会解散(会長大観)
日本美術院小品展「秋色」「湖畔」
昭和21年 第31回院展「竹外一枝」「春光る(樹海)」。第2回日本美術展「午下り」
昭和22年 第32回院展「四時山水」(画巻)。日本美術院第2回小品展「あけぼの」「夜桜」
昭和23年 第33回院展「蕭々夜雨」。日本美術院第3回小品展「朝暉」第1回白寿会展「蓬莱山」
昭和24年 8月老齢を理由として日本芸術院会員辞任申し出る
第34回院展「被褐懐玉」。日本美術院第4回小品展「春耀」。白寿会展「暗香浮動」。11月に上野松坂屋で大観画業60年展開催
昭和25年 9月芸術院会員辞任をみとめられる。
第35回院展「流れゆく水」。日本美術院第5回小品展「春光」
昭和26年 第36回院展「漁火」。伊勢神宮式年遷宮奉讃綜合美術展「国破山河在」。白寿会「明珠」
昭和27年 第37回院展「或る日の太平洋」。日本美術院第7回小品展「湖畔の雨」。第1回雪月花展「夜桜」。北斗会「白砂青松」
昭和28年 第38回院展「月出皎兮」。白寿会「汀沙」。第2回雪月花展「上弦の月」「夏の夜」。北斗会「飛泉」。無名会「冬嶺」(勅題出船)。大観・玉堂双壁展「月四題」
昭和29年 2月板谷波山とともに茨城県名誉県民に推される。8月上野池之端旧邸跡に新築の新居に引越す
第39回院展「水温む」。白寿会「皎月万里天」北斗会展「朝暾」。雪月花展「吹雪」「花吹雪」大観・玉堂双壁展「砂丘に聳ゆ」「仲秋名月」他に大観展(三越KK創立50年記念)、無名会、丁亥会展など多くの展観に出品
昭和30年 第40回院展「風蕭々兮易水寒」。第1回松竹梅展「白砂青松」「双竜争珠」。薫風会「漁火」丁亥会「洞庭秋月」
その他無名会、北斗会などにも出品
昭和31年 2月発病、一時重態となる
無名会「正気放光」。第2回松竹梅展「竹外一枝」「六根清浄」
院展をはじめ、例年の北斗会、白寿会、丁亥会など殆ど不出品
昭和32年 東京都台東区名誉区民に推される。小康を得て制作、無名会展に「山川悠遠」。松寿会展「烟雨」。松竹梅展「紅梅」「暗香浮動」。日本美術院小品展「竹雨」
その他柏光会、北斗会或は新作展などに小品を出品するも、11月の武蔵野に因む日本画展への「不二」が最後の出品となつた。
昭和33年 2月26日逝去。正3位勲1等旭日大綬章を贈られる。28日築地本願寺で日本美術院葬

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(143-146頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「横山大観」が含まれます。
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