服部有恒

没年月日:1957/11/24
分野:, (日)

 旧日展運営会参事、日本画院同人服部有恒本名謹一は、11月24日、目黒区大原国立第二病院で肺臓疾患のため逝去した。享年67歳。自宅杉並区。明治23年10月9日名古屋市に生れた。大正4年3月東京美術学校日本画科を卒業、松岡映丘に師事し、歴史画を学んだ。大正10年第3回帝展に「弘誓の稚児」が初入選となつて以来、官展に出品をつづけ、第二次大戦後は日展に拠り、日展参事、審査員をつとめた。作品は終始、大和絵人物画を専門とし、数少い、歴史画家の一人として注目されていた。
 昭和10年には松岡映丘を盟主として、新興芸術の創造をめざす国画院を結成したが、13年3月松岡映丘の死去に際し研究所を残して解散、同年新に、官展系有志とともに日本画院を創立、没年まで同人として同展にも出品していた。昭和17年南方諸島を遊歴、又昭和11年以来武蔵野美術学校教授であつた。
作品略年譜
大正10年 第3回帝展「弘誓の稚児」初入選。
大正14年 第6回帝展「安芸守清盛」特選。
大正15年 第7回帝展「輪廻」無鑑査。
昭和3年 第9回帝展「大塔宮」特選。
昭和4年 帝展推薦となる。
昭和8年 第14回帝展審査員となる。
昭和9年 「豊公出陣」名古屋市庁舎。
昭和11年 文展審査員。11月同招待展「堀川夜討」。
昭和13年 第2回文展審査員「時宗と祖元」。
昭和27年 日展運営会参事となる。第8回日展審査員「赤駒」。
昭和28年 第9回日展「六代」。
昭和29年 第10回日展「淀殿」。
昭和30年 第11回日展審査員「細川夫人」。
昭和31年 第12回日展「遊華童女」。
昭和32年 11月24日没。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(172頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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