小林古径

没年月日:1957/04/03
分野:, (日)

 芸術院会員、日本美術院同人小林古径、本名茂は4月3日、パーキンソン氏病並びに脳軟化症のため逝去した。明治16年2月11日新潟市に生れた。4歳のとき母を失い、次いで兄、12歳の折父と相次で肉親を失い孤独のうちに少年時代を過したが、父を失つてから郷里で日本画を学びはじめた。明治32年17歳のとき上京して山中古洞を訪ね、古洞の紹介で梶田半古の門に入ることになつた。新時代の写生的風俗画に新しい展開をみせていた大和絵画家梶田半古のもとで、古径は大和絵を学び歴史風俗画に筆をとつていた。半古は日本美術院と関係があつたため、古径は、日本美術院と日本絵画協会共催の共進会展に研究作品を発表して毎月受賞という成績を収めていた。その後岡倉天心に知られ、又当時、新進気鋭の青年画家の集まりであつた紅児会に加わり、歴史風俗画の新解釈に、また、古典の技法・精神をいかに現代に生かすか、熱心な研究をつづけていつた。明治45年、第6回文展に出品した「極楽井」で漸やく自己の道を見出し、再興第1回院展以来「異端」「阿弥陀堂」「竹取物語」と毎年すぐれた作品を発表している。清澄で、浪漫的な大和絵風の作品で、いずれも、この時期の代表的作品といえよう。続いて、洋風画の写生をとり入れつつ新たな制作に向かい、「いでゆ」「麦」「罌栗」など、題材にも今迄にない傾向を進めていつた。大正11年日本美術院の留学生として青邨とともに渡欧、各地の美術を見学し、ロンドンでは「女史箴図巻」の模写をして12年8月に帰国した。帰国後は「鶴と七面鳥」「清姫」等があり、前者は琳派風、後者は大和絵画巻を思わせる作品であるが、線も形も色彩も、きわめて単純化され、古典のもつ端正、清澄な美しさを近代造型のうちに求めて、独自のきびしい追及を進めたものであつた。昭和6年第18回院展の「髪」はその代表的作品で、ここに新古典主義的画風を確立し、昭和の日本画界に大きな影響を与えている。その後も「弥勒」「孔雀」「紫苑紅蜀葵」「不動」等の力作をつづけ、清光会、七弦会等にも円熟した作品を発表していた。昭和19年東京美術学校教授となり、戦時中は一時山梨県に疎開し、制作も小品が多かつた。戦後、「舞踏図」「食後」「壷」「楊貴妃」等を発表、昭和25年には文化勲章を授けられている。27年東京芸術大学教授を辞任したが、病気のため、翌年第37回院展へ「菖蒲」を最後として院展への出品はなく、小品を清光会その他へ出すにとどまつていた。30年湯河原に静養し小康を得たが、31年慶応病院に入院、32年4月3日惜しくも永眠した。4月9日、日本美術院によつて院葬が行われた。
略年譜
明治16年 2月11日新潟市に生れる。
明治19年 母死去。
明治25年 兄死去。
明治26年 父死去。
明治32年 山中古洞の勧めにより梶田半古の門に入る。日本美術院、日本絵画協会第7回共進会展に初めて「村上義光」を出品(以下絵画共進会と略す)。
明治33年 第8回絵画共進会展「竹生島」3等褒状。同第9回展「一ノ谷」1等褒状。
明治34年 第10回絵画共進会展「春霞」2等褒状。絵画共進会第11回展「敦盛」褒状1等。
明治35年 第12回絵画共進会展「女三宮」1等褒状。絵画共進会第13回展「妙音」2等褒状。
明治36年 第14回絵画共進会展「紅白」。第5回内国勧業博覧会展「大真王夫人」。
明治38年 日本美術院二十日会11月例会に「盲目」を出品、3等賞となる。
明治39年 日本美術院展「朝」。巽画会研究会で3等賞をうける。この頃安田靱彦と知る。
明治40年 巽画会の会員となる。本郷、清水方に住む。東京勧業博覧会「神埼の窟」褒状。第1回文展「闘草」。
明治41年 紅児会に入る。奈良京都に旅行。
明治42年 国画玉成会展「春」。
明治43年 国画玉成会幹事となる。紅児会第11回展「陽炎」。紅児会第12回展「緑」「椿」。紅児会第13回展「極楽井」。
明治44年 紅児会第14回展「重盛」「伶人」、紅児会第15回展、「伊勢物語」、紅児会第16回展「踏絵」外2点。
大正元年 三好ます子と結婚。第6回文展「極楽井」褒状。紅児会第17回展「説法」「伊蘇普」、紅児会第18回展「蛍」「山水」。
大正2年 紅児会第19回展「きりすと」「住吉」(紅児会はこの年解散)。
大正3年 日本美術院同人に推される。再興第1回日本美術院展「異端」秋、巽画会の審査員に推されるも辞退する。
大正4年 府下入新井に転居。京都、宇治方面に旅行、琅★洞展「厳島」。琅★洞主催、物語に寄する展覧会「今昔物語於但馬鷲★取若子図」。第2回院展「阿弥陀堂」。文展院展画稿展「阿弥陀堂下絵」。誠和会展「麦の秋」。
大正5年 前田青邨と関西に旅行。美術新報社より「賞美章」を贈られる。第1回木原会展「竹取物語」。
大正6年 第4回院展「竹取物語」画巻。日本美術学院紀念展「芥川」。立太子礼奉祝文官献納画帖「毛利元就厳島神社に詣でて大志を語る」。
大正7年 日本美術院評議員となる。琅★洞展「花」「柴舟」。日本美術院同人展「鷺」。第5回院展「いでゆ」。日本美術院展「修竹」「青梅」。
大正8年 日本美術院同人展「木蓮」。第6回院展「麦」。日本美術学院展「枯野」。
大正9年 馬込に画室新築。延暦寺より伝教大師絵伝「十講始立」委嘱され、青邨と叡山に赴き伝教大師絵伝の参考品をみる。琅★洞展「宮島の朝」。
大正10年 第8回院展「罌栗」。
大正11年 前田青邨とともに渡欧。琅★洞展「竹取」。日仏交換展「長生鳩」東京府より英太子への献納画帖「平安神宮」。
大正12年 大英博物館で「女史箴図」模写。8月23日帰国。
大正13年 中国地方旅行。第11回院展「犬と遊ぶ」。
大正14年 病気入院。
大正15年 伊豆、伊勢、奈良に旅行。聖徳太子奉讃展「洗濯場」。第13回院展「機織」。
昭和2年 尚美堂展「秋日」。日本美術学院展「柘榴とかまきり」。
昭和3年 御大典奉祝品として懸物御下命になる。尚美堂展「流」。琅★洞祝に因む展「月」。第15回院展「七面鳥と鶴」。奉祝文官献納画帖「麦」、奉祝文官献納画巻「伊勢大廟」。
昭和4年 渡欧する大観を送り関西に旅行。尚美堂展「宇津山」「鳩」。美之国5周年記念展「百合」。第16回院展「琴」。
昭和5年 8月、日本美術院経営者となる。第17回院展「清姫」長巻。第2回聖徳太子奉讃展「飛鴨」。第1回七弦会展「雪」「茄子」。
昭和6年 第18回院展「髪」。尚美堂展「ぐみ」。七弦会展「芍薬」「竜胆」。
昭和7年 速水御舟と奈良、京都地方に旅行。尚美堂展「鴨」。
昭和8年 第20回院展「弥勒」。七弦会展「紫苑」第1回清光会展「椿」「犬」。尚美堂展「初冬」。
昭和9年 第21回院展「孔雀」。七弦会展「犬と柘榴」「柿」。日本美術院試作展「鶉」。清光会展「牡丹」。尚美堂展「蘭」。
昭和10年 帝国美術院改組され、帝国美術院会員となる。日本美術院試作展「梅」。七弦会展「猫と唐もろこし」。清光会展「罌栗」。
昭和11年 第23回院展「紫苑紅蜀葵」。日本美術院同人展「芙蓉」。七弦会展「林檎」。
昭和12年 帝国芸術院会員となる。第1回文展の審査員を依嘱せらる。七弦会展「双鳩」。清光会展「三宝柑」「若鮎」。
昭和13年 七弦会展「実と花」。清光会展「梅花」。ニューヨーク万国博に「花」出品。尚美堂展「冬」「霜」。
昭和14年 第26回日本美術院展「唐もろこし」。七弦会展「赤絵二図」。清光会展「人形」。
昭和15年 第27回院展「観音」。七弦会展「菓子」。清光会展「犬」。尚美堂展「紅梅」。紀元二六〇〇年奉祝展「不動」。
昭和16年 日満美術展のため6月満州に渡り、10月帰京。七弦会展「むべ」。清光会展「瓶花」。
昭和17年 満州国建国10周年慶祝展「鶴」。清光会展「百合」。院同人軍用機献納展「観音」。
昭和18年 第30回院展「牛」。尚美堂展「百舌鳥」。清光会展「牛」。
昭和19年 6月、東京美術学校教授となる。7月帝室技芸員となる。芸術院会員戦艦献納画展「馬郎婦」「不二」「栗」「紅梅」。芸術院会員陸軍献納画展「牡丹」2点。
昭和20年 3月15日彫刻家笹村草家人の紹介で、山梨県北都留郡山口民蔵方に疎開、10月20日馬込に帰京。
昭和21年 清光会展「猫」「ささげ」。
昭和22年 七弦会展「童女」。清光会展「牡丹」「百合」朝日新聞社主催現代美術展「紫金城」他7点。五月会展「瓶華」。
昭和23年 第33回院展「舞踊図」。清流会展「狗子」。清光会展「松風」。五月会展「菖蒲」。
昭和24年 第34回院展「食後」。清流会展「木実」。清光会展「乗物」。五月会展「草花」。尚美堂展「秋海棠」。
昭和25年 11月文化勲章を授与される。第35回院展「壷」。清光会展「唐俑」。清流会展「鉢」。尚美堂展「柳陰」。日本美術院同人展「井筒」。
昭和26年 10月、東京芸術大学美術学部の教授を辞任。第36回院展「楊貴妃」。清光会展「丘」。清流会展「草花」。五月会展「牡丹」。尚美堂展「椿」。
昭和27年 4月、生誕70年を祝い、画業50年の記念展を日本橋三越で開催、又同時に、「古径、靱彦、青邨三人展」が銀座松坂屋で開かれた。第37回院展「菖蒲」。壷中居展「椿」。
昭和28年 壷中居展「鉢花」。連盟展「ホホズキ」。
昭和29年 清光会展「草花」。
昭和30年 7月初旬より9月中旬迄湯河原で静養する。
昭和31年 3月、病気治療のため、慶応病院に入院する。
昭和32年 パーキンソン氏病並びに脳軟化症のため4月3日逝去。4月9日、日本美術院に於て院葬執行せられ、同日従3位勲2等旭日章を授与された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(166-168頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「小林古径」が含まれます。
to page top