結城素明

没年月日:1957/03/24
分野:, (日)

 日本画家、日本芸術院会員結城素明は、3月24日狭心症のため東京都文京区の自宅で逝去した。82歳。明治8年12月10日東京市本所区に生れた。本名貞松。同24年川端玉章の天真画塾に入り、翌25年東京美術学校日本画科に入学、同30年卒業した。同年同校西洋画科に再入学したが、同33年中途退学した。この年、福井江亭、平福百穂などと共に、院展派の理想主義に対して自然主義を標榜して、旡声会を創立し、この年3月に第1回展を開催した。その後、はじめのうちは春秋2回開いたのが、明治37年頃からは断続的に開かれ、大正2年に及んでいる。第5回展の「散花」は、この時代の代表的なものである。明治40年東京勧業博覧会に「蝦蟇仙人」を出品して3等賞を受けた。官展には第1回文展から出品し、第5回文展の「囀」、第6回展の「甲ふたる馬」は共に褒状を受けた。さらに、大正2年第7回文展の「相思樹下把金糸図」によつて2等賞をかち得、その後も受賞した。大正8年帝展審査員となり、同14年には帝国美術院会員に推され、昭和12年帝国芸術院会員となつた。帝展や日展にも、ほとんど毎回出品し、第1回帝展の「朝霽・薄暮」、第2回帝展の「薄光」、第10回帝展の「嶺頭白雲」、第13回帝展の「炭窯」などが主なものである。この間、大正5年には鏑木清方、吉川霊華、松岡映丘などと金鈴社をおこし、翌6年から、大正11年まで毎年展覧会を開いた。また昭和12年には川崎小虎青木大乗と大日美術院を創立し、公募展を開いた。
 彼は明治35年母校日本画科の授業を嘱託され、同37年助教授に任ぜられ、大正2年には教授に進んだ。その後、昭和19年に至るまで、長い間後進の指導にあたつた。その功によつて翌20年東京美術学校名誉教授の名称を受けた。彼の指導を受けたものは、現画壇で第一線に活躍している人が多い。彼ははじめ写生的な画風に西洋画をとり入れたが、次いで装飾的な画風にうつつた。さらに中期以後は、西洋画的な写実に濃彩を施した独特の作風をきずいた。
 文筆にも長じ、その著者に「東京美術家墓所誌」「文芸家墓所誌」「伊豆の長八」「行誠上人遺墨集」「菊池容斎」「勤皇画家佐藤正持」などがある。
略年譜
明治8年 東京本所に生る。
明治24年 川端玉章の天真画塾に入門。
明治25年 東京美術学校日本画科に入学。
明治30年 東京美術学校日本画科卒業、9月東京美術学校西洋画科に再入学。
明治33年 福井江亭、平福百穂等と共に旡声会を興す。
明治35年 東京美術学校嘱託に就任、「落花」(旡声会展)。
明治37年 東京美術学校助教授に就任。
明治40年 第1回文展「無花果」、東京勧業博覧会「蝦蟇仙人」3等賞。
明治44年 第5回文展「囀」。
大正元年 第6回文展「甲ふたる馬」。
大正2年 東京美術学校教授に就任。第7回文展「相思樹下把金糸図」2等賞。
大正3年 第8回文展「箇是劉家黒牡丹」。
大正5年 第10回文展「歌神」特選。鏑木清方、吉川霊華、松岡映丘等と金鈴社を興す。
大正6年 第11回文展「八千草」特選。2月・第1回金鈴社展「島影」「尾張の海」「斜陽」他。11月・第2回金鈴社展「紫蘇」「桐の花」。
大正7年 第12回文展「夏山三趣」推選。第3回金鈴社展「秋の草」。
大正8年 第1回帝展に初の審査員に挙げられる。第1回帝展「朝霽」「薄暮」。第4回金鈴社展「翠渓微雨」「港湾初夏」。
大正9年 第2回帝展「薄光」。第5回金鈴社展「松島十景」「新芽の頃」。
大正10年 第6回金鈴社展「麦」「雨後」「苺」「紫陽花」。
大正11年 第4回帝展「詩経図」。第7回金鈴社展「二南訓女図」。6月金鈴社解散す。
大正12年 渡欧。
大正13年 白耳義美術展「花鳥」。
大正14年 欧州より帰朝。第1回東台邦画会展「湖」。帝国美術院会員に任命される。
昭和元年 巴里展「木苺」。
昭和2年 第8回帝展「山銜夕暉」、第2回東台邦画会展「寒山凍雲」。
昭和3年 第9回帝展「白河渡頭」、中国に渡る。
昭和4年 第10回帝展「嶺頭白雲」。
昭和5年 聖徳太子奉讃会展「おほましこ」。伊太利展「朝顔」「木槿」「杉戸鶏図」。
昭和6年 第12回帝展「昼の月」、米国トレード展「唐棣韈雀」「紫珠花鶏」。
昭和8年 第14回帝展「斜陽」。
昭和9年 第15回帝展「炭窯」。
昭和10年 明治神宮絵画館「江戸開城談判」。
昭和11年 改組帝展「梅渓」。第1回文展「谿光」。
昭和12年 帝国美術院改組、帝国芸術院会員となる。大日美術院創立。
昭和13年 第2回大日展「伐木」。
昭和14年 第3回大日展「桜咲く国」。
昭和15年 奉祝紀元二六〇〇年記念展「国史と花卉画屏風」。
昭和16年 第4回文展「馬の湯」。
昭和17年 第5回文展「建設へ」。
昭和18年 「立葵・紅蜀葵」。
昭和19年 東京美術学校教授を退任。第7回文展「那須山」。
昭和20年 東京美術学校名誉教授となる。
昭和21年 帝国芸術院は日本芸術院と改称。第1回日展「木槿花」。第2回日展「爽風」。
昭和23年 第1回白寿会展「山と海」。
昭和24年 第5回日展「迦楼羅」。第2回白寿会展「風神雷神」。
昭和25年 第6回日展「大聖観喜天」。第3回白寿会展「空也上人」。
昭和26年 第7回日展「早い秋の山」。日本美術協会展「(本生譚)鷹と鳩」。
昭和27年 第8回日展「爽籟」。第5回白寿会展「緑池」。
昭和28年 第9回日展「白雲」。第6回白寿会展「峻嶺朝霽」。
昭和29年 第10回日展「朝雲」。第7回白寿会展「水光」。
昭和30年 第11回日展「夏木」、第8回白寿会展「湖」。
昭和31年 米国オークランド市日本文化百年展「水墨花鳥」。第12回日展「ポポー果」。第9回白寿会展「遠山重畳」。
昭和32年 五都展「清波」。3月24日逝去。享年82歳。3月27日東京芝増上寺において葬儀を執行した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(163-164頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「結城素明」が含まれます。
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