久保田金僊

没年月日:1954/10/09
分野:, (日)

 日本画家久保田金僊は10月9日中野区の自宅で老衰のため死去した。享年80歳。名吉太郎。明治8年9月20日京都市下京区に、日本画家久保田米僊の次男として生れた。京都府画学校に学び、四条派を専攻したが、19歳の時父米僊と共に上京して芝に移つた。この年国民新聞従軍記者となり、日清戦争に派遣され、絵による戦況を報道した。日露戦争にも同様従軍し、明治41年には画の研究のため海外旅行を志し、単身渡米した。シヤトルで日本実業団の一行中松坂屋社長伊藤次郎左ヱ門に会い、同氏の秘書として3ケ月間全米を視察して帰国した。以来松坂屋百貨店に勤務、同社宣伝部長として55歳迄在籍したが、昭和21年より直腸癌をわずらい、以来長らく病床生活を送つていたが9日逝去した。文展、劇画展に出品し、また舞台装置、時代考証等においても知られていた。
主な作品
大正7年 蓬莱山図(六曲一双)。
大正8年頃 歌舞伎座緞帳獅子の図(震災焼失)。
昭和11年 黒谷方丈襖絵 虎の図。
大正4年 「庭の一隅」第9回文展出品。
大正7年 「夕づく日」第21回文展出品。
昭和15年 近江神宮絵巻物、戦争絵巻8巻(日清一、日露二、上海一、北支一、中支一、南方二巻)明治27年より、昭和16年に至る「スケッチブック」を基とし、昭和21年より23年の2ケ年に亘り完成されたもの。

出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(180-181頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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