後藤良(なおし)

没年月日:1957/03/29
分野:, (彫)

 日展依嘱、能彫会の主宰者として有名な後藤良は、3月29日急性肺炎のため目黒区の自宅で逝去した。享年75歳。明治15年1月17日、宮城前楠公像の馬体製作担当者として著名な彫刻家後藤貞行の次男として東京牛込で生まれた。少年時より父貞行について彫刻を学び、また高村光雲について伝統的な木彫技法の修業に励んだ。後、東京美術学校彫刻科(木彫)選科に学び、同35年7月10日同校を卒業した。(同期本科に高村光太郎があり、幼時から親しかつた。)更に同校彫刻科研究室に入室、同39年7月修業した。同年12月より同42年3月迄地型模型の製作に従事した。大正3年4月再び東京美術学校彫刻科研究室に入り、塑造を修め、併せて支那石仏や能姿を研究し、その研究より生まれた作品を随時諸展覧会に発表した。特に能彫に専念し、戦後の晩年に至つては殆んどその研究と製作に打ち込み、戦前における能美会、戦後における能彫会の主導的役割を果し、近代日本彫塑界におけるこの分野の推進と確立に尽瘁したことは貴重である。大正10年4月前記研究室を去ると共に本郷区駒込に制作室を建設し、後進の指導や前記能美会の中枢的存在として活躍したが、昭和20年2月戦火により一切を喪失した。戦後能美会を能彫会として再出発し、当展覧会や日展に「能彫」によつて至高な彫技の程を開陳した。没前、肺気腫という難病に侵され乍らも、昭和30年秋、目黒不動で再建する仁王門のための仁王を依頼され、その製作に没頭中であつたが、3分の1の原型を大部分完成したばかりで長逝したことは惜しまれる。
作品略年譜
明治32年3月 日本美術協会展「人物」褒賞。
明治34年4月 日本美術協会展「馬」褒賞。
明治35年3月 日本美術協会展「猟犬」褒賞。
明治36年3月 日本美術協会展「人物」褒賞。
大正3年3月 日本美術協会展「能彫弱法師」銅賞。
大正4年 第9回文展「朝霧開宿」褒状。
大正5年4月 日本美術協会展「松籟」銀賞。
大正6年4月 日本美術協会展「行く春」銀賞。
大正7年4月 日本美術協会展「能彫松風」銀賞。
大正8年3月 日本美術協会展「花を持つ夫人」銀賞。
大正9年4月 日本美術協会展「能彫羽衣」銀賞。第2回帝展「粲花夫人」特選。
大正10年4月 日本美術協会委員審査員嘱託。第3回帝展「★妃」特選。
大正13年 第5回帝展「梅妃」推薦。
大正14年 第6回帝展展覧会委員となる。「埋れたる古都」。
大正15年 第7回帝展展覧会委員となる。「爽籟」。
昭和2年 第8回帝展展覧会委員となる。「天長」。
昭和3年 第9回帝展「久遠」。
昭和4年 第10回帝展「能彫仕舞」。
昭和5年3月 聖徳太子奉讃美術展「能彫羽衣」。第11回帝展「能彫熊坂」。
昭和6年 第12回帝展「能彫道成寺」。
昭和7年 第13回帝展「能彫松風」。
昭和8年 第14回帝展審査委員となる。「能彫羽衣」。
昭和9年 第15回帝展「能彫姥捨」。
昭和12年5月 北海道函館八幡宮境内、石彫狛犬。第1回文展「立花供養」(無鑑査)。
昭和13年6月 京都伏見稲荷神社宝前、神馬。第2回文展「爽旦」。
昭和14年 第3回文展「飛行」。
昭和14年11月 神奈川県箱根神社境内、石彫狛犬。
昭和15年10月 宮城県仙台護国神社境内、石彫狛犬。南洋パラオ南洋神社境内、石彫狛犬。
昭和17年 第6回文展「能彫忠霊」。
昭和18年 第7回文展、「能彫巻絹」。
昭和18年11月 福井県福井神社境内、石彫狛犬。
昭和19年8月 関東神宮神座内、木彫極彩色狛犬。戦時特別文展「金剛巌師能姿鍛冶」。
昭和21年3月 第1回日展「能猩々」。
昭和21年10月 第2回日展「能野口兼資師黄石公」特選。
昭和22年 第3回日展審査員となる。「石橋宝生重葵師能姿」。
昭和23年 第4回日展「野口兼資師能姿源氏供養」。
昭和24年 第5回日展「能彫小鍛治」(今回以後出品依嘱となる)。
以後、日展出品作を列記する。
第6回展「能石橋」、第7回展「蘭」、第8回展「杜若」、第9回展「野口兼資師能姿姨捨」、第10回展「宝生九郎師船弁慶後シテ能姿」、第11回展「土岐善麿氏能姿隅田川」、昭和31年第12回展「喜多長世師能姿小鍛治前シテ」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(165-166頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「後藤良」が含まれます。
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