新納忠之介

没年月日:1954/04/13
分野:, (彫)

 奈良国立博物館評議員新納忠之介は、脳充血のため奈艮市の自宅で4月13日永眠した。享年86歳。明治元年11月25日鹿児島市に生れた。古拙と号した。27年7月東京美術学校彫刻本科を卒業し、同28年母校の助教授となつたが、のち日本美術院の第二部(彫刻)が奈艮に設置されると共に第二部主任となり院展の審査員となつた。大正2年日本美術院第二部から分れて美術院を経営し、国宝修理に専念して神仏像2041体、工芸品71点を再生させ、この方面に大きな功績をのこした。その間、42年には米国ボストン美術館の東洋部顧問となり、43年には日英博覧会美術館工事監督として渡英した。また同32年以来古社寺保存事業につくし、国宝保存会委員、帝室博物館学芸委員などを歴任し、学識、技術共にすぐれた彫刻界の長老であつた。その作品には古彫刻の名品の模作が多く、主なものに「百済観音像」(昭和8年、大英博物館並に東京国立博物館蔵)、「四天王」(昭和14年、大阪四天王寺本尊、戦災により焼失)、「観世音寺大黒天像」(同年、鹿児島市美術館蔵)、「毘沙門天及び僧形八幡菩薩像」(同17年、大阪市平野大念仏寺蔵)などである。
略年譜
明治元年 鹿児島市に生る。
明治27年 東京美術学校彫刻科本科卒業。
明治28年 東京美術学校助教授に任ぜらる。
明治30年 校命により中尊寺の修理主任となる。
明治31年 日本美術院第二部(彫刻)主任、院展審査員となる。
明治32年 内務省古社寺保序計画の調査を嘱託さる。
明治42年 米国ボストン美術館の招聘に応じて渡米、1ケ年間東洋部顧間として駐在。
明治43年 4月日英博覧会美術館工事監督を嘱託されて渡英、6月帰国す。8月創設の古社寺保存会委員及び国宝保存会委員に任命され専ら彫刻類の国宝指定審査に当り、その晩年に及ぶ。
大正2年 日本美術院第二部より分れ、美術院として独立経営し、昭和21年まで国宝修理に専念す。
大正6年 叙従7位。
大正8年 宮内省帝室博物館学芸委員となり、戦前迄専ら正倉院の調査研究にあたる。
大正11年 叙正7位。
昭和4年 叙従6位。
昭和7年 市立奈良美術工芸研究所長となる。(8年12月解散)
昭和27年 奈良国立博物館評議員会評議員に任命さる。
昭和29年 4月13日逝去。叙勲4等、瑞宝章を賜る。

出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(174-175頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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