伊東忠太

没年月日:1954/04/07
分野:, (建)

 日本学士院会員、日本芸術員会員、東大名誉教授工学博土伊東忠太は、4月7日文京区の白宅で逝去した。享年88。慶応3年10月26日山形県米沢市に生る。明治25年東京帝国大学造家学科を卒業、大学院に於いて日本建築学を研究した。同32年東大助教授、同38年教授に進み、昭和3年停年退官した。その後は早稲田大学教授となり、長年月にわたり後進の育成につとめた。この間、明治34年工学博土の学位を受け、中国、印度、トルコに留学、欧米を巡歴した。中国へは屡々出張した。昭和18年文化勲章を受け、同26年文化功労者に選ばれた。日本及び東洋建築を中心とする研究論文は200余にのぼりその主要なものは「伊東忠太建築文献」(全6巻)に収められて居るが単行図書には「法隆寺建築論」「木片集」「支那建築装飾」等がある。またその設計になる建築は、明治神宮をはじめ独白の様式を示している。(尚詳細については建築雑誌第21巻5月号岸田日出刀伊東忠太」を参照。)
略年譜
明治25年 帝国大学工科大学造家学科卒業、大学院入学。
明治28年 第4回内国勧業博覧会審査官。
明治29年 古社寺保存会委員就任。
明治30年 東京帝国大学工科大学講師。
明治31年 任造神宮技師兼内務技師。
明治32年 兼任東京帝国大学工科大学助教授、東京帝室博物館学芸委員。
明治34年 工学博士の学位を受く、清国北京差遣
明治35年 建築学研究の為3カ年支那、印度、土耳古へ留学。
明治38年 帰国、任東京帝国大学工科大学教授、清国へ差遣。(この後数回差遣さる)
明治44年 仏領印度支那、清国へ出張。
大正12年 学術研究会議会員。
大正14年 帝国学士院会員。
昭和2年 帝室博物館評議員。
昭和3年 東京帝国大学教授停年退職、名誉教授となる。早稲田大学教授。
昭和4年 東方文化学院東京研究所研究員、国宝保存会委員。
昭和8年 重要美術品等調査委員会委員、満日文化協会評議員。
昭和9年 法隆寺国宝保存協議会委員。
昭和13年 帝国芸術院会員。
昭和14年 日独文化交換教授のためドイツに出張。
昭和18年 文化勲章を授与さる。
昭和26年 文化功労者に選ばる。
昭和29年 4月7日永眠。
主な作品
平安神宮 京都市 明治28年
明治神宮 東京都 大正4-9年
不忍弁天天龍門 東京都 大正2-3年
増上寺大殿 東京都 大正14年
築地本願寺 東京都 昭和6-9年
震災記念堂 東京都 昭和3-5年
大倉集古館 東京都 大正15-昭和2年
浅野総一郎邸 東京都 明治42年
二楽荘 神戸市 明治43年
荻外荘 東京都 昭和2年

出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(174頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「伊東忠太」が含まれます。
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