清水六和

没年月日:1959/08/01
分野:, (工,陶)

 日本芸術院会員清水六和は、8月1日京都市の自宅において逝去した。享年84歳。明治8年3月6日四世六兵衛の長男として、京都に生まれた。京都府画学校に学んだが、中退して、祥嶺と号して幸野楳嶺に日本画を学び、父四世六兵衛について陶法一般を学んだ。明治28年に楳嶺が没してからは、谷口香?に日本画の指導を受けた。明治29年に京都市立陶磁器試験場が設立されると、そこで特別な指導を受け「マジョリカ」の製法その他を研究、また初代の場長藤江永孝と全国の陶業地を巡つて陶技その他を見学、伝統的な清水焼の陶法の研修に加えて、広く種々な研究を重ねた。明治35年ごろからは、父四世の代作に勉め、大正3年には五世六兵衛を襲名した。その頃から頻々と各種各地の博覧会の審査員を委嘱された。大正11年、フランス政府からサロン装飾美術部の会員に推され、勲章を贈られる。昭和2年帝展工芸部創設の際には審査員に推され、以後、連続審査員。昭和5年には、帝国美術院会員となり、昭和12年には日本芸術院会員となる。昭和21年には五世六兵衛を隠退し六和と号し、六世六兵衛を長男正太郎に襲名さす。昭和33年3月新発足の日展では顧問となる。六和は長い生涯の半生以上を、京都陶壇における官展系の重鎮として送つた。その作風は、枯淡で素朴な渋味があり、更に、優雅な気品と独特の色沢を備える調子の高いものであつた。

略年譜
明治8年 3月6日 四世六兵衛の長男として京都に生まれる。
明治15年頃 この頃京都府画学校中退。幸野楳嶺に日本画を、父四世六兵衛に陶法一般を学んだ。
明治28年 楳嶺が没したので、谷口香★に日本画の指導をうける。
明治29年 京都市立陶磁器試験場が設立され、そこで特別な指導をうける。
明治35年頃 この頃から父四世の代作に勉める。
大正3年 五世六兵衛を襲名。
大正5年 農展出品作「紅梅小禽花瓶」二等賞になる。
大正6年 農展出品作「青華烏瓜花瓶」一等賞になる。この作品は宮内省御買上となり、後年我が皇室からスエーデン皇帝に御贈進の趣。
大正11年 商工展出品作「染付春草花瓶」、無鑑査。フランス政府からサロン装飾美術部の会員に推され、オフシュド・ロルドル・ド・レトアル・ノアール勲章を贈られる。
大正14年 仏国美術展出品作「音羽焼納涼美人掛額」これは仏国政府買上となる。
大正15年 御物「着彩富貴長春花瓶(一対)」。太子展出品作「大礼磁仙果文花瓶」、審査員。これは京都市美術館蔵となる。
昭和2年 第8回帝展に工芸部創設、審査員になる。以後、帝展連続審査員。この年の出品作「青華百日紅花瓶」
昭和3年 第9回帝展出品作「古城文蒼二花瓶」「繍花文皿」。この中後者は久邇宮家御買上。
昭和4年 第10回帝展出品作「磁製多宝塔香炉」。国際美術展出品作「青磁耳付花瓶」、審査員、これは外務省買上。
昭和5年 第11回帝展出品作「磁製柘榴花瓶」。第2回太子展出品作「大礼磁草花文花瓶」審査員。京都美工展出品作「青華葡萄文花瓶」審査員。
昭和6年 京都美工展出品作「青磁耳付花瓶」審査員。
昭和7年 第13回帝展出品作「仙果文飾皿」
昭和8年 第14回帝展出品作「魚★文天目茶★」
昭和9年 第15回帝展出品作「台子飾(一揃)」板谷波山香取秀真赤塚自得、清水六兵衛の綜合作。
昭和11年 2月改組第1回帝展出品作「耀星花瓶」
10月の文展鑑査展及び11月の文展招待展に「陶磁飛★花瓶」を出品。
昭和12年 6月14日、日本芸術院会員となる。
昭和13年 第2回文展出品作「青磁花瓶」
昭和15年 紀元二千六百年奉祝展出品作「陶秋草手炉」
昭和16年 第4回文展出品作「青磁花瓶」
昭和17年 第5回文展出品作「青磁花瓶」
昭和19年 戦時特別文展出品作「国華花瓶」
昭和21年 五世六兵衛を隠退し六和と号す。
昭和22年 第3回日展出品作「清水窯水指」
昭和23年 第4回日展出品作「青磁花瓶」
昭和24年 第5回日展出品作「陶器紫翠★花瓶」
昭和25年 第6回日展出品作「陶器新星文流★花瓶」
昭和27年 第8回日展出品作「焼〆花瓶」
昭和29年 第10回日展出品作「新雪窯花瓶」
昭和30年 第11回日展出品作「青磁鶴首花瓶」
昭和31年 第12回日展出品作「古稀釉花瓶」
昭和33年 3月新発足日展の顧問となる。
昭和34年 8月1日逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和35年版(142頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「清水六和」が含まれます。
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