海野清

没年月日:1956/07/10
分野:, (工,彫金)

芸術院会員、文化財専門審議会専門委員、東京芸大教授海野清は、7月10日東大病院で逝去した。享年71歳。自宅東京都文京区。明治17年11月8日、海野勝珉の子として東京で生れた。35年郁文館中学を卒業、39年東京美術学校金工科に入学、44年卒業した。その後、自営制作に従事し、大正3年大正博覧会に「釈迦説法之図打出額面」を出品し2等賞を得、同5年には東京府金工美術展覧会審査員となつた。大正8年東京美術学校助教授、昭和7年教授となり、昭和24年東京美術学校が東京芸術大学となつたのちも、同校教授として没年迄在職した。昭和3年第9回帝展に「鸚鵡文金属小筥」が入選、特選となり、翌年から審査員、或は無鑑査出品者として出品し、昭和22年帝国芸術院会員となつてからは、日展審査員、同運営会理事となり、日展に作品を送つていた。また全日本工芸美術家協会々長、日本彫金会々長、日本美術刀剣会常任審査員など、彫金会の長老として要職にあつた。作品は、諸派の彫法をとり入れ、精巧な技術により古典的優雅な作風をもつて知られ、昭和30年重要無形文化財の指定をうけた。
略年譜
明治17年 11月8日海野勝珉四男として東京に生れた。
明治35年 郁文館中学卒業。
明治39年 東京美術学校金工科入学。
明治44年 東京美術学校卒業。
大正3年 大正博覧会に「釈迦説法図打出額面」出品2等賞。
大正5年 東京府金工美術展覧会審査員となる。
大正6年 東京美術学校雇となる。
大正8年 東京美術学校助教授となり、金工科彫金実習を担任する。
昭和2年 この年以後毎年、内閣から工芸審査委員会委員、商工省から第二部員を命ぜられる。
昭和3年 第9回帝展に「鸚鵡文金属小筥」を出品、特選となる。
昭和4年 第10回帝展審査委員となる。「双鶴文花瓶」出品。
昭和5年 第11回帝展審査員。「金銀鍍壷」出品。
昭和6年 第12回帝展審査員。「双鶴紋箱」出品。
昭和7年 3月、東京美術学校教授。10月、金工技術研究のため在外研究員としてフランスへ留学。
昭和9年 1月、帰朝。第15回帝展「青銀花器」(無鑑査出品)。
昭和11年 文部省美術展覧会委員となり、11月招待展に「青金色絵瓶」。
昭和12年-13年 第1回文部省美術展覧会審査員となる。
昭和17年 第5回文部省美術展覧会審査員。「雲竜硯屏」出品。
昭和22年 帝国芸術院会員に任命される。第3回日本美術展覧会以後、殆ど毎年日展審査員となる。
昭和24年 東京芸術大学教授、日展運営会常任理事となる。
昭和26年 文化財専門審議会専門委員となる。
昭和27年 第8回日展審査員。「猫」出品。
昭和29年 第10回日展審査員。「牛」出品。
昭和30年 重要無形文化財の指定をうける。
昭和31年 7月10日逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和32年版(177頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「海野清」『日本美術年鑑』昭和32年版(177頁)
例)「海野清 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8786.html(閲覧日 2024-04-17)

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