久保田鼎

没年月日:1940/01/15
分野:, (学)

美術行政及教育の為に多年尽瘁した久保田鼎は1月15日奈良に於て逝去した。行年86、安政2年江戸小石川に生れ、幼名を理三郎と称した。明治7年文部省に写字生として職を奉じ、同10年には同省属に昇進し、同23年帝国博物館主事に任命され、美術界に歩を進める契機となつた。即ち同年東京美術学校幹事、同25年臨時全国宝物取調掛、同28年には同館理事、次いで翌29年古社寺保存会委員を仰付けられた。尚同31年東京美術学校教授を兼任、同33年同校々長心得を命ぜられた。同40年に至り奈良帝室博物館長、大正3年には京都帝室博物館長、同13年には再度奈良帝室博物館長を歴任した。而して大正12年には帝室技芸員選衡委員、昭和5年には宮内事務官として勅任され、同6年帝室博物館評議員仰付られ、それと共に要職を隠退したが、我が黎明期博物館事業に殆んど其生涯を捧げた功績は特記さるべきであらう。

出 典:『日本美術年鑑』昭和16年版(90頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「久保田鼎」『日本美術年鑑』昭和16年版(90頁)
例)「久保田鼎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8744.html(閲覧日 2024-04-26)

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