正木直彦

没年月日:1940/03/02
分野:, (学)

 東京美術学校名誉教授正木直彦は3月2日逝去した。同5日小石川区音羽町護国寺に於て東京美術学校葬を以て葬儀を執行した。
文久2年10月26日大阪府に生れ、25年東京帝国大学法律科を卒業した。翌26年奈良県尋常中学校長に任ぜられ、又帝国奈良博物館学芸委員となつて古美術の調査に従ふ。30年文部大臣秘書官となり、次いで視学官、大臣官房秘書課長、文書課長兼美術課長を歴任し、34年8月東京美術学校長に任ぜられた。爾来昭和7年退官に至る迄30有余年の間美術教育に従事した。同年同校名誉教授の名称を授けられた。明治40年文部省美術審査委員会の創設に参画し、永年同委員会主事として文展に寄与し、大正8年帝国美術院の創設と共に同院幹事を仰付けられ、昭和6年同院々長となり、同10年に及んだ。辞職後は同院顧問となり、又同院廃止後は文部省の美術行政顧問となつた。又此の間同院附属美術研究所主事に在職した。以上のほか夙くより内外博覧会審査長或は鑑査官となり、又帝室技芸員詮衡委員、工芸審査員会委員をはじめ、諸種の委員会委員或は会長、理事、顧問として美術の事に関与するところ極めて広汎に亘つた。
客臘より寒冒に臥し、肺炎を併発し遂に再び立たなかつたものである。享年79。
略年譜
文久2年 10月26日和泉国堺ニ於テ生ル
明治25年 帝国大学法律科卒業
明治26年 任奈良県尋常中学校長
明治27年 奈良公園内社寺宝物名所旧蹟取調事務長ヲ囑託ス
明治28年 帝国奈良博物館学芸委員被仰付
明治30年 任文部大臣秘書官、叙高等官6等、帝国奈良博物館学芸委員被免、任文部省視学官
明治31年 兼任文部大臣秘書官、叙高等官6等、大臣官房秘書課長ヲ命ス、大臣官房秘書課長ヲ免シ更ニ文書課長兼美術課長ヲ命ス、仏蘭西万国博覧会出品調査委員ヲ命ス
明治32年 御用有之欧米各国ヘ被差遣、大臣官房文書課長ヲ免ス、大臣官房美術課長ヲ免ス、11月欧洲ヘ向ケ出発
明治34年 3月帰朝、任東京美術学校長、叙高等官4等、第5回内国勧業博覧会評議員被仰付
明治35年 普通教育ニ於ケル図画取調委員長ヲ命ス
明治36年 第5回内国勧業博覧会審査官被仰付、図画教科書編纂委員長ヲ囑託ス、臨時博覧会評議員被仰付、臨時博覧会鑑査官被仰付、陞叙高等官3等
明治37年 叙従5位、御用有之米国ヘ被差遣、8月米国ヘ向ケ出発、11月帰朝
明治40年 東京勧業博覧会審査部長ヲ囑託ス、陞叙高等官2等、文部省美術審査委員会主事ヲ命ス、叙正5位
明治41年 叙勲4等授瑞宝章
明治42年 東京美術工芸展覧会幹事長ヲ囑託ス、日英博覧会評議員被仰付、御用有之英国ヘ被差遣、日英博覧会鑑査官被仰付
明治43年 2月英国ヘ向ケ出発、日英博覧会出品物審査ニ関スル事務ヲ囑託ス、同会美術部審査主任ヲ命ス、11月帰朝
明治44年 東京勧業博覧会審査長ヲ囑託ス、授旭日小綬章、美術審査委員被仰付
大正元年 叙従4位
大正2年 叙勲3等授瑞宝章、第1回図案及応用作品展覧会審査委員ヲ囑託ス(昭和6年ニ至ル)
大正3年 東京大正博覧会審査官ヲ囑託ス、臨時博覧会評議員被仰付、臨時博覧会鑑査官被仰付
大正7年 臨時議院建築局顧問被仰付、第6回工芸展覧会審査委員ヲ囑託ス
大正8年 帝国美術院幹事被仰付
大正9年 陞叙高等官1等、叙勲2等授瑞宝章
大正11年 平和記念東京博覧会審査官ヲ囑託ス
大正12年 叙従3位、仏国美術展覧会準備委員ヲ囑託ス
大正13年 万国装飾美術工芸博覧会出品鑑査員ヲ囑託ス
昭和2年 明治神宮外苑管理評議委員ヲ囑託ス
昭和3年 対支文化事業調査委員被仰付
昭和5年 補帝国美術院附属美術研究所主事、国際観光委員会委員被仰付、叙勲1等授瑞宝章
昭和6年 中華民国ヘ出張ヲ命ゼラル、国立公園委員会委員被仰付、金杯1箇ヲ賜フ帝国美術院長被仰付
昭和7年 叙正3位、依願免本官、東京美術学校名誉教授ノ名称ヲ授ク、明治大正美術史編纂委員会委員長ヲ囑託ス、対支文化事業調査会委員被仰付
昭和13年 中華民国ヘ出張ヲ命ス
昭和15年 3月2日薨去

出 典:『日本美術年鑑』昭和16年版(91-92頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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