大野隆徳

没年月日:1945/03/10
分野:, (洋)

 旧帝展、文展無鑑査、光風会々員大野隆徳は、昭和20年3月空襲のため東京都豊島区において戦災死した。明治19年12月7日千葉県山武郡に生れ、千葉中学校を経て東京美術学校西洋画科に入学、和田英作、長原孝太郎の指導を受け、同44年卒業した。同42年在学中第3回文展に「日本橋」が初入選、第6回文展の「落葉を拾ふ児等」は褒状を受け、その後毎回出品、第9回展の「麦ばたき」は3等賞、第10回展の「高原に働く人」は持選となり、その名を認められた。さらに帝展に出品をつづけ、第1回展の「凪ぎたる海」は再び持選となつた。大正11年から13年までヨーロッパに遊学、仏、伊、独、西、英、瑞典、諾威、瑞西等を巡歴し、1921年パリ滞在中サロン・ナショナル・デ・ボザールの展覧会に「聖境礼讃」が入選した。のち帝展・新文展無鑑査となり、また光風会々員に推された。昭和6年大野洋画研究所を創立し、後進を指導した。「大野隆徳画集」(春鳥会発行)のほか「オットマンと環境」(日本美術学院発行)、「新しい油絵の描き方」(資文堂発行)などの著作がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(182頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「大野隆徳」が含まれます。
to page top