熊岡美彦

没年月日:1944/10/01
分野:, (洋)

 東光会の創立者、文展審査員熊岡美彦は急性喘息のため淀橋区の自宅で死去した。享年56。明治22年茨城県石岡市に生れ、42年東京美術学校に入学、和田英作藤島武二に師事し、大正2年卒業、同年文展に入選した。その後満谷国四郎等と親交があり、画技に精進、大正8年第1回帝展に特選に推され、14年の第6回帝展には「緑衣」を出して初の帝国美術院賞を受けた。翌年から帝展委員となつたが、同年から昭和4年にかけて欧洲に留学、帰朝後斎藤与里とともに東光会を結成した。昭和7年には熊岡洋画研究所を設立して後進を育成し、11年には支那・台湾・朝鮮を漫遊、その後も文展の審査員として力強い作風で活躍していた。
略年譜
明治22年 茨城県石岡市に生る、源蔵次男
明治42年 土浦中学校卒業、東京美術学校入学
大正2年 同校卒業、第7回文展に「かつらした」「花屋の店にて」入選
大正3年 第8回文展「椅子によれる少女」「カーネーション」「静物」
大正4年 第9回文展「母と子の肖像」(褒状)「静物」
大正5年 第10回文展「裸体」
大正7年 第12回文展「編物する二女」
大正8年 第1回帝展「朝鮮服を着たる女」(特選)
大正9年 第2回帝展「春」(無鑑査)
大正10年 第3回帝展「抱かれたる子供」(特選)
大正11年 第4回帝展「子供と犬」「ダリヤ」(無鑑査)
大正13年 第5回帝展「ベランダの裸女」「庭に遊ぶ子供」
大正14年 第6回帝展「緑衣」(帝国美術院賞)「裸女」
大正15年 第7回帝展「仰臥」「麗日」(委員)この年渡欧
昭和3年 槐樹社展に滞欧作品を送る
昭和4年 帰朝、10回帝展「裸女」
昭和5年 槐樹社解散、同志斎藤与里とともに東光会を結成す、滞欧作個展をひらく、11回帝展「集まる緋鯉」
昭和6年 12回帝展に「山上裸婦」
昭和7年 自邸に熊岡洋画研究所を設立、13回帝展「裸婦観漠」
昭和8年 14回帝展「筍」
昭和9年 15回帝展「不空羂索観音」
昭和10年 熊岡洋画道場設立、小品個展をひらく、現代綜合美術展「山上の裸婦」
昭和11年 第4回東光会「支那室の裸婦」他6点、支那、台湾、朝鮮を漫遊
昭和12年 第5回東光会「草上裸婦」台湾風景8点、第1回文展「銀屏」
昭和13年 第2回文展「山上群馬」、第6回東光会「柘榴」
昭和14年 第3回文展「厦門南普陀」、第7回東光会「妙義の秋」、この年、北・中・南支従軍
昭和15年 第8回東光会「森の放牧」、奉祝展「落日珠光」、この年個展開く
昭和16年 第9回東光会「竹下清身」等、第4回文展「山の娘」
昭和17年 第10回東光会「柿」「夏蜜柑なる伊豆」等、第5回文展「春雪」
昭和18年 第6回文展「群嶽春装」
昭和19年 淀橋区の自宅に逝去、56歳、妻多香子、二男二女あり

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(94-95頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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