野口謙蔵

没年月日:1944/07/05
分野:, (洋)

文展無鑑査、東光会々員野口謙蔵は7月5日滋賀県蒲原郡の自宅で病没した。享年44。野口小蘋の甥にあたり、明治34年滋賀県に生れた。大正13年美術学校卒業彼は郷里にあつて和田英作、平福百穂などに師事し、昭和4年帝展に「梅干」入選、6年、8年、9年と特選になり、昭和13年無鑑査、18年審査員におされた。もつぱら郷土風光を題材に新鮮な詩情をもり、日本風な一つのスタイルを作つた。歌人米田雄郎と親しく歌もよくした。
略年譜
明治34年 6月17日蒲原郡野口正寛二男として生る。母屋恵
大正8年 彦根中学校卒業、東京美術学校西洋画科入学、上京後は伯母野口小蘋宅に止宿
大正13年 美術学校卒業、その後はひき続き郷里にあり、和田英作に師事す、また平福百穂に日本画を学び、歌人米田雄郎と交わる
昭和4年 第10回帝展「梅干」
昭和5年 第11回帝展「蓮」、この年同郡岡崎喜久子と結婚
昭和6年 第12回帝展「獲物」(特選)
昭和7年 「放生」不出品
昭和8年 第14回帝展「閑庭」(特選)
昭和9年 第15回帝展「霜の朝」(特選)、東光会第2回展「蓮と少女」
昭和10年 東光会第3回展「五月の風景」「初冬の一隅」
昭和11年 東光会第4回展「蓮と朝顔」「夕日の家とひまはり」
昭和12年 東光会第5回展「野草」「冬日」
昭和13年 文展無鑑査となる、第1回文展「応召風景」、東光会第6回「ヒヨドリ」「雪後水村」「晩秋一隅」
昭和14年 第2回文展「豆の花」、東光会第7回「朝かげの庭」「冬田と子供」「がくの花」
昭和15年 第3回文展「太陽と村落」、奉祝展「朝」、東光会第8回「白梅」「雪後」「草千里」「朝日」
昭和16年 第4回文展「畔木の秋」東光会第9回「夕月」「凍る朝」「冬田」「不動尊」
昭和17年 東光会第10回「青田の朝」
昭和18年 文展審査員となる、文展第6回「望」、東光会第11回「冬草原」「虹のある雪景」、文展審査より帰後身体衰弱す
昭和19年 加多児性黄疸と病名決定 7月5日午後永眠す、44歳、家族喜久子のほか二男あり

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(92-93頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「野口謙蔵」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(92-93頁)
例)「野口謙蔵 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8674.html(閲覧日 2024-04-26)

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