五姓田芳柳

没年月日:1943/01/09
分野:, (洋)

 明治の洋画家として知られた二世五姓田芳柳は1月9日淀橋区で病気のため逝去した。享年80。本名子之吉、元治元年下総の倉持正重六男に生れ、明治11年上京、五姓田義松に師事したが、13年初代芳柳の養嗣子となつた。義松渡欧後はワーグマンに学び、14年からはサンジヨバンニ及びカペレツチにも師事した。第2回内国勧業博覧会に「飾鳥図」、同第3回博覧会には「鷺沼平九郎大蛇を屠る図」「羅漢図」を出品、25年以降は明治美術会や各国博覧会にも出品した。35年トモエ会設立の際は会員となつたが、文展以降は作品を公表せず種々の依嘱に応じて主として歴史画、風俗画を描いている。その主要なものは明治時代を回顧したもので、大正6年「聖徳記念絵画館考証図」同「十三年昭憲皇太后金子邸へ臨時行啓図」同14年聖徳記念絵画館壁画「枢密院憲法会議」昭和6年―8年「明治天皇御事績画」81図、昭和10年「笠置山」「吉野山」などが知られる。日本赤十字社特別社員で、同社依嘱のものが多数であつた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(82頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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