荒井寛方

没年月日:1945/04/16
分野:, (日)

 文展無鑑査、日本美術院同人荒井寛方は4月21日※旅先の福島県郡山市で急逝した。享年68。本名寛十郎。明治11年栃木県に生れ、22歳の時上京、水野年方の門に入り歴史画を研究した。明治40年第1回文展に入選、第2回には「出陣」を出品して3等賞に推され、3回4回5回文展に続けて入賞、第7回には「来迎」を出品した。大正4年日本美術院第2回展に「乳糜供養」を出品して同人に推され、翌大正5年タゴール翁に招かれて渡印、彼地の美術学校に教鞭をとり其間アジャンター洞窟に赴き壁画を模写した。大正7年帰朝の後は専ら院展に出品し、仏教的題材を印度の壁画やミニアチュールの表現を取入れて描いた。大正15年渡欧、ローマの史蹟を探り帰朝後も毎年院展に仏画を出品、昭和14年法隆寺壁画模写を文部省より依嘱され、15年以来専心模写を続けたが未だ完成を見ない中に急逝したのは誠に惜しむべきであつた。著作に「阿弥陀院雑記」がある。
略年譜
明治11年 8月15日栃木県に生る、荒井藤吉長男
明治32年 父素雲の道にすすみ上京、水野年方門に入る、その後国華社に勤務す
明治40年 第1回文展「菩提樹下双幅」入選
明治41年 第2回文展「出陣」3等賞
明治42年 第3回文展「射戯」3等賞
明治43年 第4回文展「車争ひ」褒状
明治44年 第5回文展「竹林の聴法」褒状
大正2年 第7回文展「来迎」、父素雲没
大正3年 再興第1回院展「暮れゆく秋」
大正4年 第2回院展「乳糜供養」、この年同人となる
大正5年 タゴールに招かれて渡印、ビヂツトラ美術学校に教鞭をとる、滞印中アジャンター洞窟内壁画を模写
大正7年 8月帰国、第5回院展「仏誕」
大正8年 第6回院展「雪山の★姿」
大正9年 第1回寛方会を開催、第7回院展「摩耶夫人の霊夢」
大正10年 第8回院展「光輪」
大正11年 第9回院展「楽土」
大正12年 第10回院展「涅槃」
大正13年 台湾へゆく、第11回院展「当麻」
大正14年 中村岳陵とともに渡支、第12回院展「喜怒哀楽」
大正15年 渡欧、伊太利を中心にローマ遺跡を廻り、各国を巡遊
昭和2年 第14回院展「玄弉と太祖」
昭和3年 第15回院展「黒駒」
昭和4年 第16回院展「寿星」「どんど焼」
昭和5年 伊太利日本美術展「清流」「猫」、第17回院展「普賢」
昭和6年 明治神宮絵画館壁画「富岡製糸場行啓」、第18回院展「竜虎」
昭和8年 目黒雅叙園に六曲一双「釈尊降誕図」、第20回院展「草味」
昭和10年 帝国美術院指定となる、第1回文展「鬼子母」
昭和11年 第23回院展「澄潭映大悲」
昭和12年 第24回院展「紅葉狩」
昭和13年 第25回院展「天地和平」
昭和14年 第26回院展「仏耶一如観音マリア」
昭和15年 高島屋に個展ひらく、この年より法隆寺金堂壁画模写にかかる
昭和16年 第28回院展「摩利支天」
昭和20年 4月16日※福島県郡山駅で急逝

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(99-100頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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