長谷川栄作

没年月日:1944/10/06
分野:, (彫)

 文展審査員長谷川栄作は腎臓病の為10月6日逝去した。享年55。明治23年東京に生れ、15歳の時吉田芳明に師事、翌年から芳州と号し、東京彫工会、日本美術工会、日本美術協会等に出品した。明治40年、勧業博覧会において褒状をうけ、大正3年文展に入選以来、連年発表を続け、大正9年帝展無鑑査、11月帝展審査員となり、発病の前年昭和17年まで官展で活躍した。一方、昭和6年には栴檀社を結成、昭和10年東邦彫塑院を結成し在野展の上にも種々の足跡を残した。
略年譜
明治23年 土浦藩の出、長谷川勝太郎長男として浅草に生る
明治30年 栃木県那須郡に移住
明治35年 東京品川に移る
明治36年 高等小学校中退、象牙彫刻家島村俊明門下の鈴木智明に師事
明治37年 鈴木没後、吉田芳明方に起臥師事
明治38年 芳州と号す、東京彫工会 日本美術工会、日本美術協会等に出品
明治39年 伯父乃木希典の那須野別墅に行き「乃木将軍農耕姿立像」原型をつくる
明治40年 東京府勧業博覧会「河辺」(木)を出品褒状
明治42年 吉田芳明方を出る
大正元年 「乃木将軍の顔」を油土でつくる
大正2年 荘原郡に工房成る、「乃木将軍農耕姿」第2回作
大正3年 25歳、第8回文展「夢」入選
大正4年 「乃木将軍及両親三座像」(木)なり、長府乃木館に置かる、第9回文展「春よ永遠なれ」(木)3等賞
大正5年 3月「乃木将軍夫妻像」桃山乃木神社に納む、第10回文展「S氏像」(木)
大正6年 6月栴檀社を結成、第1回展に「心を見つめて」「華魁」(木)2点、第11回文展「引接」(木)「私の顔」(銅)「引接」は特選首席となる、早大英文科沙翁祭のため「シェイクスピヤ像」(石膏)をつくる
大正7年(29歳) 矢野君江と結婚 第2回栴檀社展「あまい囁に酔える時」「白耀」「羽衣」「習作」(木)、第12回文展「地上にある誇り」(木)特選
大正8年 第3回栴檀社展「ゆあみ」「尋声」(木)、第1回帝展「幸よ、人類の上にあれ」(木)冬、北品川御殿山に邸宅及工房を新築
大正9年 「後藤恕作立像」をつくる、第4回栴檀社展「齲歯笑」「乙姫」「悩を知らしむ」(木)帝展無鑑査となる
大正10年 3月栴檀社解散、「斑鳩皇子像」(木)をつくる
大正11年 2月北村西望の曠原社に参加、4月平和博に「男女像」を出品、帝展審査員となる、第4回帝展「母性礼讃」(木)を出す、11月曠原社を脱退
大正12年 「聖徳太子十六歳の御像」「坪内博士座像」(木)をつくる
大正13年 御殿山桜で「墨染の像」つくる、「原敬胸像」つくる、五日彫塑合同展に「坪内博士座像」、第5回帝展「施薬」(木)委員たり
大正14年 赤坂乃木神社内陣の木彫狛一対をつくる
昭和元年 「伊豆志乙女」「手古奈」(木)をつくる
昭和2年 赤坂乃木神社石彫狛一対をつくる、第8回帝展「華清池の楊貴妃に想を得たる試作」委員たり、この年「彫塑の手ほどき」を博文館より出版
昭和3年 第9回帝展「華」、委員たり
昭和4年 小石川伝通院の「準提観自在菩薩像」をつくる、赤坂乃木神社石彫狛一対、第10回帝展「女の顔」(鋳)出品、「宝生如来」(木)を作る
昭和5年 荻窪古河家希願孤児院の「地蔵菩薩」(木)をつくる
昭和6年 品川神社の「漆昌厳像」(銅)、山口玄洞・及夫人のため「観世音菩薩像」「地蔵菩薩像」(木)をつくる、第12回帝展「乃木将軍」(鋳)エチオピア皇帝に納む
昭和7年 「吉田松陰座像」「品川弥二郎座像」(鋳)をつくる、帝展審査員たり
昭和8年 水戸県庁内「農人形銅像」をつくる、同台座3面に「田植」「刈込」「収穫」の浮彫をなす、「関和知像」(鋳)をつくる、5月満州国へ芸術使節としてゆき、「乃木将軍像」を納む、チチハル・マンチュリ・奉天・熱河へ廻る、伊賀白鳳城建築に与り、「鯱」「川崎克半身像」(鋳)をつくる、第14回帝展審査員「双柿舎に於ける逍遥先生」(鋳)を出品
昭和9年 「渡辺海旭半身像」(鋳)をつくる、調布高女の「精進鐘」「栗原幸蔵」をつくる、第15回帝展「徳富蘇峰先生」
昭和10年 東邦彫塑院を結成して帝院改組問題に声明す、歌舞伎座「坪内逍遥半身ブロンズ像」をつくる、11月東邦彫塑院第一会展に「玄峰師」を出す
昭和11年 「西村庄平像」(鋳)「山脇房子女史像」(鋳)五反田雉宮神社「海老沢啓三郎半身像」をつくる、帝国美術院参与となる、文展(招待展)「宝華素影」(木)
昭和12年 岩崎家「釈迦如来」「観世音菩薩」「地蔵菩薩」三尊を作る、第1回文展審査員「のぼるもの」(木)、秋杏雲堂病院に入院
昭和13年 「渡会陸二博士胸像」、「山本条太郎胸像」、小石川護国寺の本尊「大日如来」(木)
昭和14年 長府覚苑寺の「乃木将軍軍服姿立像」「翁」「伊藤琢磨胸像」をつくる、第2回東邦彫塑院展「病舎にて」(鋳)聖戦美術展「病舎の一隅」(鋳)第3回文展「桂翁」(鋳)
昭和15年 東邦彫塑院「舞楽春庭華」(木)「吉田芳明像」(鋳)、瑞穂会展「幸運」(鋳)「伊豆志乙女」(木)長府豊浦国民学校「乃木将軍軍服立像」
昭和16年 橿原神宮「聖徳太子座像」第4回文展審査員「以露葉」
昭和17年 東邦彫塑院解散、3月日本彫刻家連盟なり幹部委員となる、「伊藤博文立像」(鋳)「鈿女命像」(木)をつくる、第5回文展審査員「山崎朝雲像」(鋳)
昭和18年 肺炎をおこし腎臓病再発、調布高女「川村理助立像」(木)をつくる、建艦展「吉田松陰座像」(鋳)10月より伊東に静養
昭和19年 「漁夫の首」をつくる、5月帰宅、7月杏雲堂病院に入る、「観世音菩薩像」2体をつくる、8月退院、10月再入院、6日没 一乗年活山道栄居士

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(95-96頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「長谷川栄作」が含まれます。
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