吉田白嶺

没年月日:1942/01/21
分野:, (彫)

日本美術院再興第1回以来の彫刻部同人文展無鑑査吉田白嶺は心臓性喘息のため1月21日日暮里の自宅で逝去した。享年72。明治4年12月19日本所区に生れ、本名は利兵衛、最初商業に従事したが、弟芳明が彫刻家として名を成したのに発奮し、明治34年以来志を立てて独学、大いに斯業を研鑽、或は日本彫刻会に入り、又は平櫛田中内藤伸等と研究社を結び、遂に一家をなすに至つた。文展第3回に「念」を出品、同第7回に「寂静」を出して褒状に推され、大正3年再興院展第1回に「楽女」を発表、直に彫刻部同人に推挙された。以後今日まで院展に活躍、「清韻」(第7回)、「土部臣」(第14回)、「異教徒」(第20回)、「西行」(第21回)、「迦羅仙」(第23回)、「蓮月尼」(第25回)等は世に記憶されるところである。又好んで?毛の類を刻み独自の刀法を示した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和18年版(75頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「吉田白嶺」『日本美術年鑑』昭和18年版(75頁)
例)「吉田白嶺 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8560.html(閲覧日 2024-03-28)

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