明珍恒男

没年月日:1940/03/18
分野:, (彫)

 奈良県美術院主事明珍恒男は3月18日急性肺炎のため奈良市の自宅に於て逝去した。享年59歳。明治15年8月19日長野県に生れ、年少にして高村光雲に師事した。17歳にて東京美術学校木彫科に入学、同36年卒業するや直ちに日本美術院二部(後の奈良美術院)に入所し、逝去に至る迄の38年間国宝仏像の修理に従ひ、修理技術者として多大の業績を貽した。昭和10年、新納忠之介の跡を継いで奈良美術院主事に就任した。自身の創作では主なるものとして京都の東寺食堂の十一面観音、大阪四天王寺復興五重塔の扉彫刻8面が挙げられる。保存行政上の方面に於ても予て文部省宗教局囑託、三重県社寺宝物調査囑託、滋賀県社寺宝物修理囑託、奈良県史蹟名勝天然記念物調査委員等の任にあり、尚「仏像彫刻」(スゞカケ出版社刊行)をはじめ古美術に関する研究論文30余稿を残した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和16年版(92頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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