佐藤功一

没年月日:1941/06/22
分野:, (建)

 工学博士早稲田大学教授佐藤功一は肺炎症状で小石川区の自宅で療養中22日心臓衰弱を起して午後3時逝去した。享年64。明治11年栃木県に生れ、36年東京帝大建築科卒業後、42年には早稲田大学より建築学研究のため欧米へ留学、43年同大学教授となつた。大正8年工学博士の学位をうけ、爾来わが国建築学会の重鎮として活躍、幾多の建築を残した。過去39年間に建設された作品数は233の多きに及んだといふ。その他工芸審査会委員、日本学術振興会委員、会計検査院技術顧問員、大日本忠霊顕彰会顧問等となり、去る5月には建築界を代表して帝国芸術院会員に推薦されたところであつた。
略年譜
明治11年 7月2日栃木県下都賀郡に生る、大越東七郎次男、後佐藤茂八の養子となる
明治36年 7月東京帝国大学工科大学建築科卒業、9月三重県技師
明治41年 6月宮内省内匠寮御用掛
明治42年 1月早稲田大学より建築学研究のため欧米へ留学
明治43年 9月帰朝、早稲田大学教授
大正8年 6月工学博士の学位を受く
大正10年 9月東京女子高等師範講師
大正12年 11月帝都復興院建築局事務嘱託
大正14年 4月日本女子大学校教授
昭和4年 8月大礼記念京都美術館建設委員会委員
昭和8年 3月日本学術振興会学術部第十一常置委員
昭和10年 12月帝国飛行協会評議員
昭和11年 10月会計検査院技術顧問員
昭和14年 3月国史館造営委員会委員
昭和15年 5月大日本忠霊顕彰会顧問
昭和16年 4月大日本国防衛生協会理事 6月22日死去
主要作品には、宮城県庁舎、帝室林野局庁舎、栃木県庁舎、滋賀県庁舎、三会堂、東京市公会堂、飛行館、東京動産火災保険株式会社、日清生命保険株式会社本社、共同建物株式会社マツダビルデイング、藤本ビルブローカー証券株式会社東京支店、東京府農工銀行、不動貯金銀行本店、早稲田大学大隈記念講堂、津田英学塾校舎、駒沢大学講堂、日清製粉株式会社鶴見工場、神田神社、頼山陽先生遺蹟顕彰記念館等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和17年版(77-78頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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