伊東紅雲

没年月日:1939/04/02
分野:, (日)

文展無鑑査、伊東紅雲は4月2日脳溢血のため逝去した。本名は常辰、明治13年7月13日東京に生る。同27年に村田丹陵門に入り、土佐派を学ぶ。同40年文展第1回に「防矢」が入選、大正4年に「船出」が3等賞となつた。同14年帝展委員に任命される迄「生★」「消息」「関の清水」「手向」「護世四天」「さすらひ船」「朝猟」「賭戯」等が入選してをり、昭和2年以降は「防人」「出陣」「戦火の後」「献甲」等を出品してゐる。予て小堀鞆音の門に出入し、革丙会にも関係し、最近は朱弦会に参加してゐた。故実に精しく、専ら歴史画を制作した。尚昭和3年に明治神宮絵画館に「御元服図」を謹作してゐる。

出 典:『日本美術年鑑』昭和15年版(119頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「伊東紅雲」『日本美術年鑑』昭和15年版(119頁)
例)「伊東紅雲 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8476.html(閲覧日 2024-03-29)

以下のデータベースにも「伊東紅雲」が含まれます。
to page top