木島桜谷

没年月日:1938/11/03
分野:, (日)

旧帝展審査員木島桜谷は最近神経過労症に悩みつつあつたが11月3日大阪府枚方附近に於て京阪電車に触れ不慮の災禍の為急逝した。享年62歳。
 本名文治郎、字文質、別に龍池草堂主人、聾廬迂人の号を用ひた。明治10年3月6日京都の商家に生る。少年の頃より今尾景年の門に入り傍ら儒者山本亡羊に就て経学を修めた。明治32年全国絵画共進会に「瓜生兄弟」を出品して営内省の御買上に浴したが之が出世作となつた。次で文展第1回出品の六曲一双「しぐれ」が2等賞を受領し、その後勢に乗じて毎回赫々たる成績を続け、名声を馳せた。爾後数次に亙り文帝展審査員に選ばれたが、帝展第14回に「峡中の秋」を出品、某の後は展覧会作品を示さなかつた。人となり志操堅固を以て聞え、晩年は筆硯に尊念する外は詩書を友として世交より遠ざかつてゐた、その画風は四条円山の形式を継承しつつ己の工夫を加へ平明な親しみある筆意を示して居た。
作品年譜
明治32年 金国絵画共進会「瓜生兄弟」3等9席
明治33年 美術協会展「野猪」2等1席
明治34年 美術協会展「剣の舞」3等5席
明治35年 美術協会展「咆哮」2等1席
明治36年 内国勧業博「揺落」3等
明治37年 美術協会展「桃花源」2等1席
明治38年 美術協会展「古来征戦幾人回」4等1席
明治39年 美術協会展「奔馬」
明治40年 美術協会展「田舎の秋」2等1席
明治40年 文展第1回「しぐれ」2等
明治41年 文展第2回「勝乎敗乎」2等
明治42年 文展第3回「和楽」3等
明治43年 文展第4回「かりくら」3等
明治44年 文展第5回「若葉の山」2等
大正元年 文展第6回「寒月」2等
大正2年 文展第7回「駅路の春」審査員
大正3年 文展第8回「涼意」無鑑査
大正4年 文展第9回「うまや」
大正5年 文展第10回「港頭の夕」
大正6年 文展第11回「孟宗薮」
大正7年 文展第12回「暮雲」
大正10年 帝展第3回「松籟」
大正11年 帝展第4回「行路難」
大正13年 帝展第5回「たけがり」
大正14年 帝展第6回「婦女三趣」
大正15年 帝展第7回「遅日」
昭和2年 文展第8回「灰燼」
昭和3年 文展第9回「えもの」
昭和5年 文展第11回「望郷」(?奴に於ける蘇武)
昭和6年 文展第12回「画三昧」
昭和7年 文展第13回「つのとぐ鹿」
昭和8年 文展第14回「峡中の秋」

出 典:『日本美術年鑑』昭和14年版(111頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「木島桜谷」『日本美術年鑑』昭和14年版(111頁)
例)「木島桜谷 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8473.html(閲覧日 2024-04-24)

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