尾竹竹坡

没年月日:1936/06/02
分野:, (日)

 尾竹竹坡は旧冬以来気管支喘息を病み、本郷区の自宅で療養中であつたが、6月2日遂に逝去した。享年59。本名染吉、明治11年1月新潟に生る。兄弟3人、兄は越堂、弟は国観。4歳にして笹田雲石に就いて南画を学ぶ。同27年、第4回内国観業博覧会に「少年書画会図」を出品。同29年出京し、川端玉章に入門した。同31年東京文学社出版の小学毛筆画8冊、中学毛筆画8冊の原図浄写の代筆を橋本雅邦に依嘱され完了した。同39年同志安田靭彦、今村紫虹、尾竹国観飛田周山等と共に大同画会を創立、之は後日本美術院の同人合同して国画玉成会となつたが、同41年国画玉成会展に「仏舎利分与」を出品、この時岡倉覚三と衝突して退会し、次で同会も解散となつた。大正2年7月越堂、国観と合同して八華会展覧会を開催、翌年代議士候補に立ち選挙に争つた。同8年秋自ら八火社を創立し門人を率ゐて展覧会を開いた。昭和2年帝展第8回に際し無鑑査に推薦さる。11年1月以来病勢一進一退、病床にあつて没する前日に至る迄1日も筆を休めなかつたと言ふ。
作品略年表
年次 年齢
明治28年 18 日本美術協会展「観桜図」
明治30年 20 日本美術協会展「石川麿」
明治31年 21 日本絵画協会4回展「空中声」褒状1等。日本美術協会「静吉野雪」褒状1等
明治32年 22 日本絵画協会7回展「春曙」褒状1等
明治33年 23 日本絵画協会8回展「四季山水」褒状1等
明治40年 30 文展1回「羅喉羅」
明治42年 32 文展3回「茸狩」3等賞
明治43年 33 文展4回「おとづれ」2等賞
明治44年 34 巽画会11回展「梅」「太子」1等賞。文展第5回「水」2等賞
大正4年 38 文展8回「豪華」3等賞
大正5年 39 文展10回「ゆたかなる国土」
大正6年 40 文展11回「みそのの秋」
大正7年 41 文展12回「健雷神」
大正8年 42 八火社展12点
大正9年 43 八火社展2回展10点
大正10年 44 八火社展3回展8点
大正13年 47 帝展5回「市町村」3点
大正14年 48 帝展6回「大地円」
大正15年 49 帝展7回「峠」
昭和2年 50 帝展8回「山中の水」
昭和3年 51 帝展9回「雑草」
昭和4年 52 帝展10回「生常四幅」
昭和5年 53 帝展11回「唱」
昭和6年 54 帝展12回「鶏頭」
昭和7年 55 帝展13回「阿寒原始林」
昭和8年 56 帝展14回「安楽豊蚕」
昭和9年 57 帝展15回「日盛」

出 典:『日本美術年鑑』昭和12年版(144頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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