福島菊次郎

没年月日:2015/09/24
分野:, (写)
読み:ふくしまきくじろう

 写真家・ジャーナリストの福島菊次郎は9月24日脳梗塞のため山口県柳井市の病院で死去した。享年94。
 1921(大正10)年3月15日、山口県都濃郡下松町(現、下松市)に生まれる。太平洋戦争末期に二度にわたり陸軍に召集され、終戦まで従軍。戦後復員し、郷里で時計店を開業。戦争末期、広島の部隊に配属されるも、原爆投下直前に九州方面に配置されたことで被爆を免れた経験を持ち、戦後広島に通い、被爆者の撮影を重ねるようになる。写真雑誌への投稿などを通じ評価を高め、1961(昭和36)年、10年以上にわたって被爆者の一家族を撮りためた写真により『ピカドン ある原爆被災者の記録』(東京中日新聞社)を刊行。これにより同年、第5回日本写真批評家協会賞特別賞を受賞、またこの年上京、フリーランスの写真家となる。以降、ライフワークとしてとりくんだ被爆地広島の他、全共闘運動(『ガス弾の谷間からの報告』M.P.S.出版部、1969年)、兵器産業(『迫る危機 自衛隊と兵器産業を告発する』現代書館、1970年)、三里塚闘争(『戦場からの報告 三里塚1967-1977』社会評論社、1977年)、公害(『公害日本列島』三一書房、1980年)など、多岐にわたる社会問題にとりくみ、多数の写真集、著作を発表、また雑誌等に多く寄稿した。
 80年代には瀬戸内海の無人島に入植し、ジャーナリストとしての活動を離れるが、昭和の終焉にあたって、あらためて戦争責任を問うために活動を再開、取材の他、執筆、講演、また自身の仕事を写真パネルに仕立て、各地の展示に貸出すなど、広く問題提起を続けた。
 晩年は2011(平成23)年に発生した東日本大震災における原発事故を取材、常に反権力、反戦の立場から徹底した取材と発言を重ねてきた姿勢があらためて注目され、その活動を追った映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎監督、2012年)が制作され、代表作をまとめた写真集『証言と遺言』(デイズジャパン、2013年)も刊行された。15年に死去した後も『ピカドン ある原爆被災者の記録』(復刊ドットコム、2017年)が復刻されるなど、再評価が進んでいる。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(553頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「福島菊次郎」『日本美術年鑑』平成28年版(553頁)
例)「福島菊次郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809151.html(閲覧日 2024-03-29)

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