金子國義

没年月日:2015/03/16
分野:, (その他)
読み:かねこくによし

 画家の金子國義は、3月16日、虚血性心不全のため東京都品川区の自宅で死去した。享年78。
 1936(昭和11)年7月23日、埼玉県蕨市で織物業を営む裕福な家庭の四人兄弟(兄二人、姉一人)の末っ子として生まれる。幼少のころより図画工作、習字に秀で、華道、茶道、バレエのレッスンに通う。高校生のころは「映画狂時代」を自称するほど映画を観、『ハーパーズ・バザー』、『ヴォーグ』などファッション誌を購読、スタイル画に熱中する。56年、日本大学芸術学部入学。学業と平行して歌舞伎舞台美術家長坂元弘に4年間師事し、歌舞伎や新派、東をどりなどの舞台装置や衣装を学ぶ。57年、二十日会に参加し、第一回公演「わがままな巨人」の舞台を担当。59年、大学卒業後、グラフィックデザイン会社でコマーシャルなどの仕事に従事するが、3ヶ月で退社。60年、第37回春陽会展の舞台美術部門で「ある巨人の話」が入選。65年ころ、高橋睦郎を介して澁澤龍彦と知り合い、翌年刊行された澁澤の翻訳書『オー嬢の物語』(河出書房新社)の挿絵を担当。このころアングラ劇団「状況劇場」で舞台美術を担当したり出演する。67年、澁澤の紹介で初の個展「花咲く乙女たち」を銀座・青木画廊で開催(同画廊では69年「千鳥たち」、75年「お遊戯」、83年「オルペウス」の個展を開催)。68年、映画「うたたかの恋」(監督桂宏平、主演四谷シモン)で美術を担当。71年、ミラノ・ナビリオ画廊にて個展開催。同年、雑誌「婦人公論」の表紙画を担当(1974年12月号まで)。75年、生田耕作訳『バタイユ作品集』(角川書店)の装幀・挿絵を担当。世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とし、60年代から70年代半ばを風靡したアングラ文化の一翼を担った。80年、バレエ「アリスの夢」(原宿ラフォーレミュージアム)で構成・演出・美術を担当。以後も、東京を中心に個展を多数開催、1998(平成10)年に自身がオーナーとなり神田神保町に金子による画集・リトグラフ・油彩・装丁本のほか金子が所蔵する書籍、美術品を展示するギャラリー兼古書店を開設(没後もオーナーを代えて存続)。晩年まで舞台美術、着物デザイン、写真など多岐にわたり、精力的に活動、18代目中村勘三郎(2005年)、6代目中村勘九郎(2012年)ら歌舞伎役者の襲名披露口上の美術、ロックバンド・L’Arc~en~CielのボーカリストHYDEのアルバム「FAITH」ジャケット原画(2006年、発売=HAUNTED RECORDS)を手がけた。
 著書に『美貌帖』(河出書房新社、2015年)、絵本に『Alice’s adventures in Wonderland(不思議の国のアリス)』(イタリア・オリベッティ社、1974年)、作品集に『アリスの夢』(角川書店、1978年)、『金子國義アリスの画廊』(美術出版社、1979年)、『オルペウス』(美術出版社、1983年)、『青空』(美術出版社、1989年)、『お遊戯Les Jeux』(新潮社、1997年)、『よこしまな天使』(朝日新聞社、1998年、Asahi Art Collection)、『金子國義油彩集』(メディアファクトリー、2001年)、『Drink Me Eat Me』(平凡社、2004年)、『L’ Elegance金子國義の世界』(平凡社、2008年、コロナ・ブックス)など多数。特に一般には「富士見ロマン文庫」(富士見書房、1977年から91年)、『ユリイカ』(1988年から90年)をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことでも知られた。回顧展としては、「EROS’84」(渋谷・西武百貨店アートフォーラム、1984年)、「EROS ’90楽園へ」(キリンプラザ大阪、1990年)がある。没後、『ユリイカ』2015年7月臨時増刊号や『KAWADE夢ムック文藝別冊』(2015年8月)などで特集された。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(533-534頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「金子國義」『日本美術年鑑』平成28年版(533-534頁)
例)「金子國義 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809011.html(閲覧日 2024-04-19)
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