清水誠一

没年月日:2010/12/06
分野:, (美)
読み:しみずせいいち

 美術家の清水誠一は12月6日、山梨県北杜市の自宅で死去した。享年64。1946(昭和21)年2月27日、山梨県小淵沢に生まれる。67年新潟大学医学部を中退し、上京。すいどーばた美術学院で学ぶが、ほどなく独学で制作活動に入る。デヴューは69年の第9回現代日本美術展。初個展は72年、神田の田村画廊だった。この年、3回の個展を田村画廊で勢力的に開催する。マルセル・デュシャンに傾倒していた清水は、当時の作品を次のように記述している。1回目は、「動力用モーターが3台廻り、空中に大きな楕円の輪が吊るされ、楕円の中を円形蛍光灯20個が筒状に光を発する」もの。2回目は、「画廊のコンクリートの床に穴を掘り」画廊の名前が入ったガラスの看板を埋めるもの。3回目は1日のみで、「白い傾斜した大きなベニヤ・パネルをトラックに積み、田村画廊と近くにあったときわ画廊とのあいだを20回通過するイヴェント」(引用はいずれも『あいだ』157号「追悼山岸信郎・わが虚無的往還のかたわらで」より)だった。77年には第10回パリ青年ビエンナーレに出品。この頃には、コンクリート板などを線描で覆い尽くす「マーク・ペインティング」をシリーズ化している。79年に小淵沢に制作の拠点を移し、80年代はおもに「クランク・ペインティング」のシリーズを展開、1色の背景に直線と曲線が規則的に並ぶ、運動感をみせる絵画である。個展は主に東京のコバヤシ画廊、田中画廊などで開催、その数44回に及び、毎年のようにグループ展にも参加していた。1998(平成10)年頃からコンピューターを使用し、絵画制作を行なう。写真を取り込みソフトで加工、旧作の画面に入れ込んだりし、しだいに具象的な形象が画面を覆ってくるようになる。2009年6月から11月に開催された香川県のソフトマシーン美術館での個展が最後の発表となった。作品は次のホームページで参照できる。http://lastpainting.main.jp/ (2013年現在)

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(453頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「清水誠一」『日本美術年鑑』平成23年版(453頁)
例)「清水誠一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28517.html(閲覧日 2024-04-20)
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