熊谷元一

没年月日:2010/11/06
分野:, (写)

 写真家、童画家の熊谷元一は、11月6日老衰のため東京都内の介護施設で死去した。享年101。1909(明治42)年7月12日、長野県下伊那郡会地村(現、阿智村)に生まれる。1929(昭和4)年長野県飯田中学校(現、飯田高等学校)卒業。30年下伊那郡で尋常高等小学校の代用教員となる。33年長野県教員赤化事件(2.4事件)に連座し退職。幼少の頃より絵に関心を持ち、代用教員在職中に童画(子供向けの絵画)にとりくみ始める。32年絵本雑誌『コドモノクニ』に初めて作品が掲載され、以後、郷土を描く童画家としての評価を高め、教職を辞した後は童画に専念。34年指導を受けていた童画家武井武雄の依頼で、童画制作の資料のために案山子を撮影したことから写真に興味を持ち、36年初めてカメラを購入。写真を用いた村誌の制作を思い立ち、約2年間かけて農村の暮らしを撮影する。それをまとめた手作りの写真帳が美術評論家の板垣鷹穂に評価され、板垣の推薦により、38年『会地村 一農村の写真記録』が朝日新聞社より出版される。これを契機として39年拓務省(のち大東亜省に吸収)に嘱託として採用され上京、事務全般を担当する傍ら満州出張の折に現地を撮影。童画家としても絵本『ヤマノムラ』(教養社、1942年)、同『あの村この村』(博文館、1943年)を出版する。終戦後は郷里の小学校の教師に復職。49年より農林省農業綜合研究所駐村研究員に任じられたことを機に、写真撮影を再開。教職の傍ら、農村の婦人の生活を調査、撮影。53年に新評論社から『村の婦人生活』として刊行するとともに、それらの写真を岩波写真文庫編集部に送ったことをきっかけに同写真文庫において、いずれも伊那谷を撮影地とした『かいこの村』(岩波写真文庫84、1953年)、『農村の婦人 南信濃の』(同121、54年)、『一年生 ある小学校教師の記録』(同143、1955年)が出版される。53年に担任したクラスを1年間記録した『一年生』は、第1回毎日写真賞を受賞するなど高く評価された。66年小学校教員を定年退職し、東京都清瀬市に移住。退職後に発表された絵本『二ほんのかきのき』(福音館、1968年)は版を重ね約30年で総部数が100万部に達し、童画家としての代表作となった。清瀬移住後も郷里阿智村の撮影を続け、『ある山村の昭和史 写真記録集 信州阿智村39年』(信濃路、1975年)、『グラフィック・レポート ふるさとの昭和史 暮らしの変容』(岩波書店、1989年)などを出版するとともに、移住先の清瀬でも市内の風景や市民生活にレンズを向け、その成果は『清瀬の三六五日―写真集』(清瀬市郷土博物館、1999年)などにまとめられた。写真と童画によって長年にわたって郷土の暮らしに眼を向け続けた熊谷の営為は、昭和の終わりから平成初頭の時期、昭和という時代を回顧する気運の高まりの中で改めて評価され、その顕彰が進んだ。81年に阿智村で「熊谷元一童画写真保存会」が発足、88年村内に熊谷から寄贈された作品を保存展示するふるさと童画写真館(のち熊谷元一童画写真館に改称)が開設された。1990(平成2)年には第40回日本写真協会賞功労賞を受賞。92年『画集 熊谷元一の世界』(郷土出版社)刊行。93年長野県教育関係功労賞受賞。94年地域文化功労者として文部大臣表彰を受ける。同年『熊谷元一写真全集』(全4巻、郷土出版社)により第48回毎日出版文化賞を受賞。95年には伊那谷の暮らしと文化を童画と写真により記録し続けた功績により信濃毎日新聞社から第2回信毎賞を受賞した。96年阿智村により熊谷元一写真賞創設。97年には『日本の写真家17熊谷元一』(岩波書店)が刊行された。評伝に矢野敬一『写真家・熊谷元一とメディアの時代』(青弓社、2005年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(451-452頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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