藤本強

没年月日:2010/09/10
分野:, (学)

 考古学者で東京大学名誉教授の藤本強は9月10日、旅行先のドイツ、ローテンブルクで死去した。享年74。1936(昭和11)年5月20日に東京都に生まれる。59年東京大学文学部考古学科卒業。61年東京大学大学院人文科学研究科考古学専門課程修士修了、65年東京大学大学院人文科学研究科考古学専門課程博士課程満期退学。専門は先史考古学で、農耕が開始されるころの西アジアの石器文化を研究した。65年東京大学文学部助手。73年からは東京大学文学部附属北海文化研究常呂実習施設助教授として、オホーツク海沿岸の常呂町に赴任し、北海道の独特の文化的特性を持つ遺跡の発掘に従事した。この時の成果が、『北辺の遺跡』(教育社歴史新書、1979年)、『擦文文化』(教育社歴史新書、1982年)などとして刊行されている。さらに、日本列島の文化の多様性を評価する態度につながり、『もう二つの日本文化 北海道と南島の文化』(東京大学出版会、1988年)などの著書として結実した。85年には東京大学文学部教授として東京に戻る。83年以来、東京大学本郷キャンパスでは、創立100周年事業の一環として御殿下記念館、山上会館などの建設が計画されていた。キャンパス地下の加賀藩本郷邸の発掘のため、遺跡調査室(現、埋蔵文化財調査室)が組織され、藤本は構内の発掘にも尽力することになる。この調査は、江戸遺跡の大規模な調査として、その後の江戸考古学に与えた影響が大きい。藤本は発掘・報告のみならず、研究成果を『埋もれた江戸 東大の地下の大名屋敷』(平凡社、1990年)などの形で刊行し、普及にも努めた。このように、藤本の研究範囲は多くの地域、時代におよんだ。研究の基本を記した『考古学を考える 方法論的展望と課題』(雄山閣、1985年)、『考古学の方法 調査と分析』(東京大学出版会、2000年)などを刊行したほか、幅広い知見を活かした『モノが語る日本列島史 旧石器から江戸時代まで』(同成社、1994年)、『東は東、西は西 文化の考古学』(平凡社、1994年)が刊行されている。研究・教育とともに、人望と指導力を買われて1994(平成6)年から96年まで東京大学文学部長・大学院人文社会系研究科長となり、大学改革の波を乗り切った。97年に東京大学文学部を定年退官、名誉教授となった。同年、新潟大学人文学部教授。2002年、國學院大学文学部教授。國學院大學では03年から大学院委員長も務めた。07年には國學院大學を退職し、教育の最前線から退く。一方、00年から日本学術会議会員、06年からは文化審議会世界文化遺産特別委員会委員長を務めた。08年には文化庁の古墳壁画保存活用検討会の座長となり、キトラ古墳の石室壁画の解体保存の決断など、文化財保護にかかわる重要な案件にかかわる。そうした経歴の一方で、大学時代ハンドボール部に所属するスポーツマンであった藤本は、大先生として祭り上げられることを嫌った。東京大学の退官に際しては、一般にありがちな献呈論文集という形を嫌い、自らの編集による特定テーマの論文集を逆提案。研究仲間や後輩・弟子たちの執筆した『住の考古学』(同成社、1997年)を刊行した。古稀を迎えたときも、東大退官の際と同様、自らの編集による『生業の考古学』(同成社、2006年)を刊行した。01年に福島県文化財センター白河館「まほろん」の館長に就任すると、館長講演会などの形で一般への文化財の普及に尽力した。『ごはんとパンの考古学』(同成社、2007年)や、没後に刊行された『日本の世界文化遺産を歩く』(同成社、2010年)も、そのような講演内容をまとめたものである。最期の地であったドイツも、世界遺産に関する新たな講演や著作の準備のための滞在であった。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(445-446頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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