鈴木重三

没年月日:2010/09/01
分野:, (学)
読み:すずきじゅうぞう

 近世国文学・浮世絵研究者の鈴木重三は9月1日午後6時23分、東京都目黒区の病院で死去した。享年91。1919(大正8)年3月30日東京市麻布区霞町(現、東京都港区西麻布)に生まれる。幼少の頃より芝居を好み、合巻(江戸時代後期に流行した草双紙、作者では山東京伝、曲亭馬琴など、絵師では豊国、国貞、国芳などが手がけた)など文芸に親しみ、その後の研究の素地を形成した。1939(昭和14)年、東京帝国大学に入学するが3年で戦時中の繰り上げ卒業となり、陸軍に応召されて出征、46年復員、翌年から浦和市立高等学校に勤務した。51年より国立国会図書館に奉職、84年に司書監で退官ののち、白百合女子大学文学部教授として教鞭をとった。生涯にわたって戯作など江戸時代の絵入版本と、関連する浮世絵との考察を数多く手がけたが、研究に着手した頃、こうした分野は、文学史からも美術史からも考察の対象外とされていた感があり、鈴木の業績は先駆的な研究となり、その後の研究の礎となった。70年刊行の『広重』(日本経済新聞社)は、多種多様な作品と資料を網羅し、広重の人物像に迫る大著である。また企画・編集を行った全集・画集類も多く、『浮世絵大系』(集英社)、『浮世絵聚花』(小学館)などがある。一方、絵本や合巻の底本の吟味、校閲、解説などを数多く手がけ、企画・編集に携わった主な書籍には『近世日本風俗絵本集成』(臨川書店)、『北斎読本挿絵集成』(美術出版社)、『山東京伝全集』(ぺりかん社)、『馬琴中編読本集成』(汲古書院)、『偐紫田舎源氏』(岩波書店)、『葛飾北斎伝』(岩波文庫)などがあり、いずれも幅広い研究の基礎資料となっている。また79年刊行の『絵本と浮世絵 江戸出版文化の考察』(美術出版社)は近世文学についての研鑽と浮世絵に対する鋭い観察眼によってなされた著作集である。85年刊行の『近世子どもの絵本集』(岩波書店)では毎日出版文化賞特別賞を受賞している。また1992(平成4)年の『国芳』(平凡社)は近世文学研究の豊富な蓄積を骨子に、国芳作品の集大成として結実させた。さらに2004年刊行の『保永堂版 広重東海道五拾三次』(岩波書店)では、周到なる調査をもとに、可能な限りの初期の摺を厳密に選定して資料とともに掲載している。同書は著名な同作品の図版の決定版であるとともに、この作品が広重の上洛を契機としたものではなく、従来から知られていた『東海道名所図会』に加え十返舎一九の『続膝栗毛』を参考に制作されたことを、詳細な挿図とともに明らかにしている。最晩年に至っても研究意欲は衰えることなく、既発表の論文による『絵本と浮世絵』の改訂版のために、最後までその訂正加筆に努められていた(ぺりかん社より刊行予定)。鈴木は、片岡球子<面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生>(第73回院展出品作、1988年、北海道立近代美術館蔵)にその姿が描かれており、<面構>シリーズに唯一とりあげられた当世人物である。その縦2m、横3.7mを超える大画面には、国芳の三枚物「七浦大漁繁昌之図」の図様を背景として、国芳と背広姿の鈴木が配されている。76年頃から鈴木は片岡の浮世絵研究の相談役として交流があり、画中の「七浦大漁繁昌之図」も鈴木の所蔵作品を参考にしたという(土岐美由紀「インタビュー 鈴木重三=片岡球子先生との交流について」『氷華(北海道立旭川美術館だより)』82、2010年、および『片岡球子展』図録、札幌芸術の森美術館・北海道立旭川美術館、2010年)。没後「鈴木重三先生を偲ぶ会」が国際浮世絵学会の主催で行われ、その際の配布物の表紙に、片岡による鈴木の写生が載せられている。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(444-445頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鈴木重三」『日本美術年鑑』平成23年版(444-445頁)
例)「鈴木重三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28505.html(閲覧日 2024-04-25)

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