永山光幹

没年月日:2010/03/22
分野:, (工)

 刀剣研磨で重要無形文化財保持者である永山光幹は3月22日死去した。享年90。1920(大正9)年3月21日、神奈川県中郡相川村(現、厚木市)の農家に7人兄弟の末子として生まれる。本名永山茂。1934(昭和9)年、14歳のとき東京下谷区黒門町の研師で、鑑定家でもあった本阿弥光遜に入門し、刀剣研磨の道に進む。師の光遜は水戸の本阿弥家の研師であったが、別系統で名人と呼ばれていた本阿弥琳雅に学び、将軍家や大名の所蔵していた刀剣を代々伝承された技で研ぐ家研ぎの継承者であった。44年、兵役に召集され歩兵第49連隊に入営し中国に出征し、現地でも軍刀の研磨に従事した。46年、復員し、ただちに光遜に再入門するが、戦後進駐軍による日本刀の没収、愛好家や旧大名の経済力の低下などにより、本格的な研磨の依頼はほとんどなかったと本人は回顧している。48年に日本刀の保存を目的として設立された日本美術刀剣保存協会が開催した55年の研磨技術発表会で無鑑査に認定され、名実ともに名工との評価を得、同展の審査委員となる。56年神奈川県平塚市で開業、59年中郡大磯町西小磯に転居し、弟子を採り始める。永山の功績の大きなところは、秘伝、奥義といった貴重な成果を隠してはならないとして、技術を開示したことと、後継者を多く養成したことである。68年に平塚の旧宅に「永山美術刀剣研磨研修所」を開設し、月謝制によって研磨の技術を教えたことでも裏付けできる。78年、ユネスコの要請によりベネチアの東洋美術館の所蔵刀剣の調査を行い、帰国後10点を研磨した。研磨した刀剣は春日大社の国宝の金装花押散兵庫鎖太刀、重要文化財の堀川国広はじめ多くの重要文化財がある。また『刀剣鑑定読本』、『日本刀を研ぐ』など刀剣の研磨、鑑定に関する著作もある。1998(平成10)年、重要無形文化財に認定され、2000年勲四等旭日小綬章を受章する。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(431-432頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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