佐々木崑

没年月日:2009/03/27
分野:, (写)
読み:ささきこん

 写真家の佐々木崑は3月27日、脳出血のため埼玉県飯能市の自宅で死去した。享年90。1918(大正7) 年11月2日中国・青島に生まれる。本名幸一。23年に家族とともに神戸に移り、1937(昭和12)年神戸村野工業学校(現、神戸村野工業高等学校)を卒業、上京し日本理化工業(現、大陽日酸株式会社)に勤務する。39年より42年まで従軍、終戦を神戸で迎えた。中学時代より写真に関心を持ち、アマチュア写真家としてのキャリアを積み、戦後の51年に撮影行で神戸を訪れた木村伊兵衛の知遇を得、師事する。55年神戸でカメラ機材店を開業、57年には大阪に移り商業写真スタジオを経営するかたわら、神戸の麻薬地帯や遊郭、未就学児童といった社会問題をとりあげたルポルタージュを『アサヒグラフ』誌などに発表した。木村の誘いもあり60年にふたたび上京しフリーランスの写真家となり、木村の撮影の助手や62年に来日したW.ユージン・スミスの暗室助手も務めた。63年、科学映画の制作会社東京シネマに入社、スチル写真を担当、顕微鏡写真など特殊な科学写真の撮影に従事する。66年、『アサヒカメラ』1月号より「小さい生命」の連載を開始(80年6月号まで)、「続・小さい生命」(83年3月号より91年12月号まで)とあわせ、同誌上で256回の連載を通じ、昆虫や小動物の脱皮や羽化、誕生などの様子を接写した写真を発表し、自然科学写真の先駆者としての評価を確立する。同連載により72年第22回日本写真協会賞年度賞を受賞。68年には個展「小さい生命」(銀座ニコンサロン)を開催、以後、同題の個展は日本全国および海外でも開催された。主な写真集に『小さい生命』(朝日新聞社、1971年)、『ホタルの一生』(フレーベル館、1981年)、『MORPHE 花の形態誌』(アイピーシー、1988年)、『新・小さい生命』(朝日新聞社、1992年)、『誕生物語』(データハウス、1994年)など。また撮影に必要な機材を自作するなどカメラ機材や撮影技法についても深い知識を持ち、カメラ雑誌での機材テストや技法書の執筆などもてがけた。78年には竹村嘉夫らと日本自然科学写真協会(SSP)を設立、副会長に就任。81年より2002(平成14)年まで会長を務め、退任後名誉会長となる。また各地の写真団体の指導にあたるなどアマチュア写真家の育成にも尽力した。92年、勲四等瑞宝章を受章。2000年には第50回日本写真協会賞功労賞を受賞した。

出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(465頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「佐々木崑」『日本美術年鑑』平成22年版(465頁)
例)「佐々木崑 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28452.html(閲覧日 2024-04-26)
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