伊東傀

没年月日:2009/02/01
分野:, (彫)

 東京藝術大学名誉教授の彫刻家伊東傀は2月1日、心不全のため死去した。享年90。1918(大正7)年10月4日、荏原郡品川宿字南品川2―20に海苔の養殖製造卸業を家業とする伊藤岩吉の次男として生まれる。本名伊藤茂之。1931(昭和6)年に城南尋常小学校を卒業するが胃腸を患い、3年間闘病生活を送る。1939年、私立高輪中学校を卒業して東京美術学校(現、東京藝術大学)彫刻科に入学する。同校構内に立つロダン「青銅時代」に感銘を受けたことが、その後の制作の指針となった。44年9月に東京美術学校彫刻科塑造部を繰り上げ卒業となる。同年応召するが体調を壊し、召集解除となって帰国する。同年、東京美術学校彫刻科研究科に入学。45年12月に高輪学園の図画教諭となり51年3月まで教鞭をとる。46年、柳原義達菊池一雄の仕事に共感し、彼らの所属する新制作派協会の第10回展に「手」(ブロンズ)を出品して新作家賞を受賞し同会会友となる。47年東京美術学校彫刻研究科を修了。48年、第12回新制作派協会展に「首 M.I」を出品し、新制作派協会賞を受賞。50年、毎日新聞社主催連合展に新制作派協会からの推薦で「青年の首O」を出品。51年、第15回新制作派協会展に「トルソ」(石膏)を出品し、同会会員に推挙され、2004(平成16)年に退会するまで毎年同展へ出品を続けた。52年東京藝術大学美術学部講師となる。53年、日産自動車車体製造法に参画。55年、第3回国際美術展でペリクレ・ファツィーニ、マリノ・マリーニ、ヘンリー・ムーアなどの海外の現代作家による彫刻を見、文学性とは離れた量塊表現に触発されて、それまでのアカデミックな表現から、対象の形を幾何学的形態としてとらえなおして再構築する作風へと変化する。60年、東京都三鷹市文化会館に「トリ」を設置。62年、文部省の派遣によりフランスへ出張。65年、東京藝術大学彫刻科助教授となる。74年に現代彫刻センターで個展を開催し、出品作「銀座の女」で土方定一の評価を得る。78年、東京藝術大学教授となる。81年第9回長野市野外彫刻賞を受賞し、「マントの女」が長野市に設置される。86年、東京藝術大学を定年退官し名誉教授となる。沖縄県立芸術大学設立に早くから関わり、86年10月、同学教授、92年同学美術工芸学部長となる。97年同学退職。2003年沖縄県立芸術大学名誉教授となる。2004年、新制作協会を退会する。85年に東京藝術大学退官記念として同学陳列館で行われた展覧会の際、自らの足跡を初期、1960年代、70年から75年、75年以降の4期に分けて語っているように、初期にはロダンに学んだアカデミックな人体表現がなされ、60年代には海外の現代作家に触発された簡略化された具象表現となり、第三期には対象の写実を離れた量塊としての構成が見られ、それ以後は構成的な傾向が強まっていった。道化師、水着の女、鳥、ふくろうをモティーフとした作品が多い。主要なコレクションは笠間日動美術館、沖縄県立美術館などに収蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(459頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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