木村恒久

没年月日:2008/12/27
分野:, (デ)

 グラフィックデザイナーの木村恒久は12月27日、肺がんのため自宅で死去した。享年80。  1928(昭和3)年5月30日、大阪府に生まれる。45年大阪市立工芸学校(現、市立工芸高等学校)図案科を卒業、海軍の予科練に入隊してすぐ終戦となり、しばらくはヤミ市の片隅で看板の制作を手がけて家計を支える。その後、沢村徹に弟子入りしてデザインの現場を体験。毎日新聞商業デザインコンクールの52年第20回ポスターの部「ペニシリン昭和鼻薬」で技能賞、翌第21回第2部(ポスター)「エナルモンB帝国臓器」で日宣美会員賞、翌第22回第1部(新聞広告)「大和銀行/大和定期」で通産大臣賞を受賞。同コンクール入賞者の懇親会から53年に「Aクラブ」というデザイン研究会が発足、その中心メンバーだった永井一正、片山利弘田中一光らと「若手四天王」と呼ばれ、精力的にデザイン制作、批評活動を行う。55年よりユアサ電池株式会社に招かれ嘱託となるが、60年に上京し、亀倉雄策らが設立したデザイナー集団の日本デザインセンターに参加。62年日本建築家協会主催「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞。64年に独立。66年、宇野亜喜良、永井一正、和田誠らグラッフィク・デザイナーが集まり前年に開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞。68年東京造形大学助教授となる。同年チェコ・グラフィック・ビエンナーレでチェコ建築家協会賞を受賞。70年頃から複数の写真を精巧に組み合わせて全く異なるイメージを生み出すフォト・モンタージュの手法で、現代社会を鋭く風刺した。77年『季刊ビックリハウスSUPER』で「木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル」の連載を開始、その原画展を渋谷パルコで開催し、話題を呼ぶ。79年、作品集『キムラカメラ』を刊行。80年に毎日デザイン賞を受賞。1993(平成5)年に東京造形大学客員教授となる。96年ポンピドゥー・センターと東京都現代美術館の共催による「近代都市と芸術展」に招待出品。また99年にギンザ・グラフィック・ギャラリー第154回企画展「木村恒久展what?」、2000年には川崎市市民ミュージアムで「木村恒久原画展」が開催される。没する直前の08年11月にうらわ美術館で始まった「氾濫するイメージ―反芸術以後の印刷メディアと美術1960’―70’」展では、赤瀬川原平や横尾忠則ら印刷メディアを通して活動を展開した8名の作家の一人として、70年代のフォト・モンタージュ作品が展観された(八王子市夢美術館、足利市立美術館を巡回)。

出 典:『日本美術年鑑』平成21年版(441頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2016年02月10日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「木村恒久」が含まれます。
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