風倉匠

没年月日:2007/11/13
分野:, (美)
読み:かざくらしょう

 1960年代に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加し、ハプニングやパフォーマンスによって既成の概念を揺るがした風倉匠は、11月13日、肺がんのため大分市の病院で死去した。享年71。1936(昭和11)年1月23日、大分市大字津留696番地に生まれる。本名橋本正一。幼少期より正巳と呼ばれる。津留国民小学校に入学するが、戦争により大分県内に疎開。48年4月大分市立城東中学校に入学し、51年に同校を卒業して大分県立大分工業高校に入学する。52年、腹膜炎の後、結核に罹り、翌年5月まで休学。この間、読書に没頭し詩人を志す。また、地元の演劇活動を手伝い、新世紀群アトリエに出入りして、デッサンや油彩画を描くようになる。「凡倉惰作」の名を用いるが、風倉と誤読され、以後、風倉と称する。56年4月武蔵野美術大学油絵科に入学。同年、第19回大分県美術展に風倉省策の名で出した「女」が初入選。同年10月砂川闘争に参加し、赤瀬川原平を知り、赤瀬川を通じて吉村益信を知る。57年、春休みの帰省中に大分県総合文化祭(大分県教育会館ホール)で行われた演劇で、椅子から何度も落ち続けるハプニングを行う。58年3月第10回読売アンデパンダン展に「陣地」を出品。同年7月の第11回日本アンデパンダン展には「人工庭園」を出品する。59年、吉村益信らのグループ「オール・ジャパン」の結成に参加。60年、第13回日本アンデパンダン展に「眠らされた」を、第12回読売アンデパンダン展に「城」他2点を出品。同年、吉村益信赤瀬川原平、篠原有司男らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加し、同年4月の第1回ネオ・ダダ展(銀座画廊)にビニール作品などを出品。同年7月の第2回展(吉村アトリエ)にトタンのロボット、モビール、ドローイングなどを出品。この頃から、風倉匠と名乗るようになる。同年9月の第3回ネオ・ダダ展(日比谷画廊)にロープによる作品等を出品。61年3月第13回読売アンデパンダン展に「ムード屋」「K2」を出品。同年6月、安保闘争で死去した樺美智子追悼統一集会にVAN映画科学研究所の所員と共に乱入し、バルーンを膨らませるハプニングを行った。同年10月に第1回個展(村松画廊)を開催し、初日に椅子のハプニングを、会期中にバルーンを膨らませるハプニングを行う。62年第14回読売アンデパンダン展にフーコー振り子、サイレン、バルーン等による「サイレン」「祖堂人命救助法」を出品。同年8月15日、「敗戦記念晩餐会―芸術マイナス芸術」(国立市公民館)に参加し、「サドの遺言執行式」を土方巽と共演。同年11月「九州派の英雄たちの大集会」(博多湾・百道海水浴場)に参加する。63年、第15回読売アンデパンダン展に「アウグスチヌスの道具の時間」「事物は何処から来て何処へ行く」を出品。同年5月大分市キムラヤギャラリーで個展「リリパッド王国」を開催。同年11月第32回大分県美術展で「作品二の一」(旧名「陣地」)が大分県美術協会賞を受賞。64年、高松次郎赤瀬川原平中西夏之によるグループ「ハイレッドセンター」の「ドロッピング・イヴェント」(池坊会館)、「首都圏清掃促進運動」(銀座並木通)に参加。71年第10回現代日本美術展にフーコーの振り子による「魔術によって宇宙の一部を証す道」を出品。73年11月から北海道網走に移り住みカフカの『流刑地にて』を映画化する試みを開始する。以後2年撮影を続けるが未完に終わり、帰京。同年、個展「リリパッド王国秘宝展」を開催。76年から美術学校夜間部で教鞭を取る。78年、ホワイトクロス個展(国分寺画廊9)、風倉匠個展―WHITE CROSS EXHIBITION(大分市、府内画廊)を開催。79年塩商人の語本指(大分市、府内画廊)に赤瀬川原平田中信太郎らとともに参加。同年9月、大分に帰郷し絵画塾を開く。80年大分県立芸術会館で「風倉匠個展―絵画の基点を探す点検作業」を開催し、絵画、オブジェなど150点を出品。86年、パリのポンピドゥ・センターで行われた「前衛芸術の日本1910~1970」に参加し、小杉武久とバルーンなどを用いたパフォーマンスを行い、同展後、ドイツでも小杉とのパフォーマンスを行う。88年4月より福岡市内の会社に勤務し、以後1994(平成6)年まで福岡に単身赴任。92年「巨大都市の原生 東京―大阪行為芸術1992年ヨーロッパ・ツアー」に参加し、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスを巡りパフォーマンスを行う。93年、福岡市美術館で「流動する美術Ⅲ ネオ・ダダの写真」が開催される。95年第7回バングラディシュ・アジア美術ビエンナーレに参加し、バルーンによるパフォーマンス等を行う。2002年大分市美術館で「風倉匠展」が開催され、初期からのしごとが跡づけられた。年譜は同展図録および『時計の振り子 風倉匠』(佐野画廊、1996年)に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(393-394頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「風倉匠」『日本美術年鑑』平成20年版(393-394頁)
例)「風倉匠 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28407.html(閲覧日 2024-03-28)

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