萩原英雄

没年月日:2007/11/04
分野:, (版)
読み:はぎわらひでお

 版画家の萩原英雄は11月4日、虚血性心不全のため東京都新宿区の病院で死去した。享年94。1913(大正2)年2月22日、甲府市相川町に生まれる。21年警察署勤務であった父の赴任地である韓国定州に家族で移住するが、1929(昭和4)年に単身、日本に帰国し日本大学第二中学(現、日本大学附属第二高校)に転入。30年耳野卯三郎に油彩画を学ぶ。32年日本大学第二中学校を卒業し、同年4月に文化学院美術科に入学。同年第9回白日会展に油彩画「雑木林」で、第19回光風会展に油彩画「上り道」で初入選。また、同年の第19回日本水彩画会展に「アネモネ」で初入選を果たす。33年4月東京美術学校油画科に入学。この年にも白日会、光風会に入選するが、東京美術学校の規則として在学中の公募展出品は禁止されていたため、以後、出品していない。この頃は対象を写実的に描写するアカデミックな訓練を受ける一方、セザンヌに心酔し、近隣に住んでいた長谷川利行と34年から知りあって行動を共にして芸術に対する姿勢などに影響を受けるなど、反アカデミズムの傾向を強めた。38年、東京美術学校油画本科を卒業し、高見沢木版社に入社。日本の浮世絵版画の技法等について多くを学ぶ。43年応召により高見沢木版社を退社する。戦災でそれまでの作品を焼失するが、戦後の51年、銀座・資生堂で油彩画による初個展を開催する。53年、肺結核にかかり以後56年1月まで療養生活を送る。この間、リハビリテーションの一環として木版画を手がけ、日本の造形の伝統を再認識して、東洋的な表現を求めるようになる。56年3月に版画による個展を開催。同年、第24回日本版画協会展に「雲」「風」「傷つける牛」で入選。57年第25回日本版画協会展に「渡り鳥」「陽炎」で入選し、同会会友となる。58年第26回同展に抽象的画面を、木版画の平面性から脱した新技法による版で摺り出した「コンポジション≪E≫」ほかを出品し、同会会員となる。同年の第1回国際色彩版画トリエンナーレ(スイス)に「コンポジションR」を出品したほか、第29回ノースウエスト国際版画家展(米国シアトル)に「コンポジションL」を出品するなど、国際展に作品を発表する。60年、第2回東京国際版画ビエンナーレに「石の花(黒)」「石の花(灰)」「石の花(赤)」を出品し、神奈川県立近代美術館賞を受賞。62年、第7回ルガノ国際版画ビエンナーレに「赤の幻想」「藍の幻想」「白の幻想No.1」「緑の幻想」を出品し、浮世絵の空摺り技法を用いたエンボス表現を活かした「白の幻想No.1」でルガノ市長賞(グランプリ)を受賞する。62年第5回現代日本美術展に「鎧える人No.1」「鎧える人No.2」を招待出品。63年、第7回国際日本美術展に「作品A」を招待出品。同年の第5回リュブリアナ国際版画ビエンナーレに「白の幻想No.2」「鎧える人No.6」「鎧える人No.11」を出品し、「白の幻想No.2」でユーゴスラビア科学芸術アカデミー賞を受賞。同年、リュブリアナ近代美術館で「萩原英雄個展」を開催し「石の花(白)」ほか版画30点を展観する。64年には米国フィラデルフィア美術館で個展を開催。65年、第4回クシロン国際木版画ビエンナーレ(スイス)、第6回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレに出品。66年には第1回クラコウ国際版画ビエンナーレ、第5回東京国際版画ビエンナーレに出品し、後者では「お伽の国No.1」で文部大臣賞を受賞する。67年4月、米国オレゴン州立大学客員教授として招かれ、版画技法の指導をして7月に帰国。同年、第7回リュブリアナ国際版画ビエンナーレで「お伽の国No.12」がリエカ国立近代美術館賞受賞、また、同年チェコスロヴァキア国際木版画展に「お伽の国No.1」「お伽の国No.2」「お伽の国No.17」を出品し、グランプリを受賞する。68年、第1回ユーゴスラビア国際素描展に素描「天使と曲芸Ⅰ」「天使と曲芸Ⅱ」「花の天使」を出品して受賞、70年、第1回バンスカ国際木版画ビエンナーレ(チェコスロヴァキア)に「天使昇天No.3」「天使昇天No.5」を出品して受賞する。86年、郷里の山梨県立美術館で「現代木版画の巨匠・萩原英雄の世界展」が開催され、木版画、油彩画、コラージュなど200点が出品された。1991(平成3)年、日本版画協会名誉会員となる。92年、北海道登別市民会館で「萩原英雄の世界―現代木版画の巨匠展」が開催される。また、同年、第12回バンスカ国際木版画ビエンナーレに「追憶No.11」を招待出品し、名誉賞を受賞する。96年武蔵野市民会館で「萩原英雄―無垢なる世界Vol.1」展、97年、同館で同展Vo.2が開催される。2000年に山梨県立美術館に自らの作品2637点と、収集品のコレクション760点を寄贈。翌年、同館で寄贈品をもとに「作家の眼差し―萩原英雄コレクション展」が開催され、01年には同館で「色彩の賛美歌 萩原英雄全仕事」展が開催された。浮世絵など日本の伝統的木版画技法を踏まえつつ、従来は平面性の強い、複数制作のもの、とされてきた版画に、コラージュによる版木の制作やモノタイプの試みなどにより新たな展開をもたらし、戦後、日本の版画が国際的評価を高めていく中で、その一翼を担った。1977年から84年まで東京学芸大学講師として教鞭を取ったほか、以下のような著書がある。『版画のたのしみ方』(主婦と生活社、1966年)、『現代版画入門』(主婦と生活社、1972年)、『木版画―基礎から創作まで』(主婦と生活社、1980年)、『萩原英雄版画集』(講談社、1982年)、『萩原英雄木版画作品総目録Vol.2』(ギャラリー壱山、1986年)、『萩原英雄木版画作品総目録Vol.1』(ギャラリー壱山、1988年)、『日本現代版画 萩原英雄』(玲風書房、1992年)、『美の遍歴』(日本放送出版協会、1996年)

出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(392-393頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「萩原英雄」『日本美術年鑑』平成20年版(392-393頁)
例)「萩原英雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28406.html(閲覧日 2024-04-26)

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