松澤宥

没年月日:2006/10/15
分野:, (美)

 独自のコンセプトによる作品とパフォーマンスで知られた美術家の松澤宥は、肺炎のため、長野県諏訪市の病院で死去した。享年84。1922(大正11)年2月2日、長野県諏訪郡下諏訪町に生まれる。1946(昭和21)年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業、49年から諏訪実業高校定時制下諏訪分校で数学の教諭となる(82年まで勤務する)。52年、第4回読売アンデパンダン展、第12回美術文化協会展に出品。54年、美術文化協会を脱退。55年、ウィスコンシン州立大学よりフルブライト交換教授として招聘され、翌年から57年までコロンビア大学にて現代美術、宗教哲学を研究した。64年には、「オブジェを消せ」という啓示をうけたとされ、66年には「人類よ消滅しよう行こう行こう」という言葉を生みだし、垂れ幕にして会場に展示するなどのパフォーマンスをつづけた。そうした活動は、瀧口修造中原佑介針生一郎等の美術評論家たちの注目するところとなり、70年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展に参加した。71年には、樹上小屋「泉水入瞑想台」を完成させるなど、従来の発表活動からも離れた独自の創作活動をつづけた。76年のヴェネツィア・ビエンナーレ、77年のサンパウロ・ビエンナーレにも参加。88年には『量子芸術宣言 芸術のパラダイム・シフト』を刊行。その後、各地の美術館における個展として、1994(平成6)年、山口県立美術館で「ミメントゥ・モーライ 死を念え」展、97年に斉藤記念川口現代美術館(埼玉県川口市)で「スピリチュアリズムへ・松澤宥1954―1997」展、2004年に広島市現代美術館にて同館収蔵作品展として「松澤宥作品&松澤宥キュレーション作品展 消滅と未来と」が開催された。また、82年7月、富山県立近代美術館での「第1回現代芸術祭 瀧口修造と戦後美術」展をはじめとして、戦後美術から現代美術までを「回顧」する各地の美術館の企画展にも、たびたび取り上げられその先駆性と特異な位置が検証されている。同時に、近年では、02年の東京都現代美術館における「傾く小屋 美術家たちの証言 since9.11」展、04年の豊田市美術館における「生命の美術―IN BED」展など、現代美術を通して現代の状況をとらえようとするグループショーにも積極的に参加していた。自宅でもある下諏訪の「プサイ(ギリシャ語のψ)の部屋」と名付けられたアトリエは、過去に制作された情念的なオブジェ等で埋まり、そのなかで松澤は半世紀近くにわたり東洋的な宗教観、宇宙観、現代数学、宇宙物理学等を組み入れながら思考を深め、そこから導き出された思想、観念そのものを芸術として表現しようとした。その点から日本における「コンセプチュアル・アート」の先駆的な存在とされているが、現代美術にあってそうした位置づけにとどまらない、「芸術の終焉」を見つめようとした思想性をもった希有な芸術家であった。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(379頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2017年01月06日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「松澤宥」が含まれます。
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