三浦小平二

没年月日:2006/10/03
分野:, (工)
読み:みうらこへいじ

 陶芸家で青磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)の三浦小平二は10月3日午前1時56分に急性心筋梗塞のため死去した。享年73。1933(昭和8)年、現在の新潟県佐渡市相川に生まれる。父は佐渡無名異焼の三浦小平。1951年東京芸術大学美術学部彫刻科に入学し平櫛田中に指導を受ける。高田直彦らと陶磁器研究会(陶研)をつくり、加藤土師萌に師事し、芸大最初の窯を築く。また、父の薦めで京都の製陶会社や岐阜県陶磁器試験場にて陶技を根本から学ぶ。その後、母校に戻り、副手、非常勤講師を務めながら制作の目標を灰釉陶器から鈞窯、青磁へと定めた。76年、第23回日本伝統工芸展に出品した「青磁大鉢」において文部大臣賞を受賞。これは、作者の生地・佐渡の朱泥土の素地を轆轤成形で薄く挽き上げ、明るい青白色の青磁釉がたっぷりとかかった作品である。この作品は72年台北の故宮博物院における宋代青磁の調査から佐渡の朱泥土を使用することを思い立ち実現したという。その後、1992(平成4)年、郷里に「三浦小平二小さな美術館」を設立、93年に日本陶磁協会賞金賞、94年にはMOA岡田茂吉賞工芸部門大賞、95年には第42回日本伝統工芸展に出品した「青磁飾壺『寺院』」が日本工芸会保持者賞、96年紫綬褒章を受章。三浦の作風はアジア・アフリカの風物をモチーフとしたものが見られ、これらは本人が「創作の原点」と語った海外への旅の影響といわれている。東アフリカ牧畜民のマサイ族との出会いやアフガニスタン砂漠の中の湖バンディ・アミールの神秘的な青色の感動が作域を広げたと考えられる。97年、青磁で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2000年東京芸術大学名誉教授、文星芸術大学陶芸科主任教授に就任。05年文星芸術大学陶芸科客員教授にと後進の指導に心血を注いだ。06年、「[作陶50年]人間国宝三浦小平二展」を日本橋三越、新潟三越で開催した同年、逝去。没後、遺族が作品30点を佐渡市へ寄贈したことを機に、08年「[特別展]人間国宝三浦小平二の世界―青磁以前の作品、青磁の世界、画家・三浦小平二―」展が佐渡博物館、両津郷土博物館、相川郷土博物館にて開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(377-378頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「三浦小平二」『日本美術年鑑』平成19年版(377-378頁)
例)「三浦小平二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28376.html(閲覧日 2024-03-29)

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