塩多慶四郎

没年月日:2006/09/24
分野:, (工)

 漆芸家で髹漆の重要無形文化財保持者(人間国宝)の塩多慶四郎は9月24日午後8時7分に肺炎のため死去した。享年80。1926(大正15)年1月17日、輪島市河井町の輪島塗塗師角野勝次郎の四男として生を受ける。3歳のときに母の実家である塩多家の養子に入る。塩多家も三代続く輪島塗塗師であった。1941(昭和16)年、尋常高等小学校を卒業し、養父塩多政のもとで輪島塗の修行を始める。その後、45年、滋賀県大津海軍航空隊にて終戦を迎える。同年、輪島へ復員し家業の塗師を手伝う。48年、大日本紡績大垣化学紡績工場試験室に勤務し、化学塗料の研究に従事する。その後、26歳のときに輪島へ帰郷。塩多漆器店四代目を継ぎ、本格的に輪島塗に携わり始める。64年、勝田静璋について蒔絵を学び始め、同年、第6回石川の伝統工芸展(日本工芸会石川支部の展覧会)に入選。翌年、「乾漆菓子鉢」にて第12回日本伝統工芸展に入選を果たす。また、同年、文化庁・日本工芸会共催による技術伝承者養成事業に参加した塩多は生涯の師と仰ぐ松田権六と出会う。松田の「塗りと形が良ければ加飾などいらない」との示唆に触発され、漆塗りの持つ本当の美しさを追求することになったという。その後、71年、第27回現代美術展において「乾漆古代朱盤」が技術賞を受賞したのを皮切りに受賞を重ねる。第15回石川の伝統工芸展にて「乾漆堆黒りんか盤」が日本工芸会会長賞、第23回日本伝統工芸展にて「乾漆線文盤」が日本工芸会会長賞を受賞する。78年輪島塗が重要無形文化財に指定され、輪島塗技術保存会が発足。同会会員に認定される。その後も精力的に活動を続け、第24回日本伝統工芸展にて朝日新聞社賞、第3回石川県工芸作家選抜美術展にて石川県知事賞を受賞。その後日本伝統工芸展にて監査員を務め、工芸界の発展に尽力した。86年には北國文化賞、翌年には紫綬褒章、1991(平成3)年石川テレビ賞を受賞。95年、「髹漆」にて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。同年にはMOA岡田茂吉賞大賞を受賞、日本工芸会参与、石川県立輪島漆芸技術研究所主任講師に就任し、後進の指導に心血を注いだ。同年「乾漆蓋物 悠悠」の制作の直後に病に倒れる。96年、初の回顧展「人間国宝 塩多慶四郎の世界」を石川県輪島漆芸美術館で開催。再起を果たせぬまま逝去。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(377頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「塩多慶四郎」が含まれます。
to page top