平川敏夫

没年月日:2006/05/14
分野:, (日)

 日本画家で創画会会員の平川敏夫は5月14日、肺炎のため死去した。享年81。1924(大正13)年10月6日、愛知県宝飯郡小坂井町に生まれる。1940(昭和15)年に高等小学校を卒業、京都の図案家稲石武男の塾に住み込み、仕事の中で日本画材の扱いなど基礎を身につける。翌年太平洋戦争の勃発により京都から帰郷。戦後、47年に我妻碧宇によって結成された新日本画研究会で中村正義らとともに学ぶ。50年第1回豊橋美術展に出品した「大崎風景」(水彩画)が豊橋市長賞を受賞。同年中村正義の勧めで第3回創造美術展に出品した「街」が初入選。51年同会が新制作協会日本画部となって以後同会に出品し、54年第18回新制作展「庭四題」、58年同第22回「陶土」「陶土のある街」、62年第26回「樹濤」(文部省買上げ)「樹冬」と、三度にわたり新作家賞を受賞。63年同会会員となった。この間、60年第24回展に「白樹」を出品し、以後、各地に残る原生林を訪ね歩き、樹木を題材に生命の脈動と神秘を表現する。64年第28回「樹焔」、67年第31回「樹響」等を出品。この他、現代日本美術展、日本国際美術展や、71年現代幻想絵画展等にも招待出品。73年にはパリで個展を開催。74年創画会結成に参加し、同会会員として出品を続けた。70年代から80年代にかけて樹木と併せ、塔を主題に閑雅な作風を展開。次第にその色数を減らしながら80年代以降はマスキングによる白抜きの効果を取り入れた水墨表現を追究した。80年中日文化賞、83年愛知県教育委員会文化功労賞、85年東海テレビ文化賞を受賞。1997(平成9)年に岐阜県美術館で「華麗なる変遷 平川敏夫展」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(370頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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