村上善男

没年月日:2006/05/04
分野:, (美)

 前衛的な作品で知られる現代美術家の村上善男は、5月4日、心不全のため岩手県盛岡市の自宅で死去した。享年73。1933(昭和8)年、岩手県盛岡市の染物屋に生まれる。岩手大学在学中の53年、二科展に「蛾」を出品して初入選を果たす(以後61年の第46回まで出品)。54年に教諭として岩手県花巻市立湯本中学校へ赴任。翌年の第40回二科展に出した「ヴァグースQ」が岡本太郎の目にとまり、この年新たに設けられた二科九室、通称太郎部屋に展示される。それまでのシュルレアリスム的表現から、形象化された人の手と糸で構成された「綾取りシリーズ」への移行がこの作品には顕著にみられる。57年には転勤先の岩手町で齋藤忠誠らと諮り、岩手町在住者を主体として「エコール・ド・エヌ」を結成。60年から、工業製品をポリエステルで固めたアサンブラージュによる「注射針シリーズ」「計測シリーズ」を展開していく。高校教師として再び転勤する61年にエコール・ド・エヌを退会、さらに岡本太郎の二科会脱退に続いて62年から団体展への出品も取りやめる。以降、グループ展や個展など表現方法の制約にとらわれない場での活動を重視するようになる。同年、詩人・高橋昭八郎に呼びかけ「一人の詩人、八人の画家と一人の芸術家、舞踏家による盛岡四月八日の日曜日」と題するショーを開催、この時の参加者・大宮政郎、柵山龍司らと共に盛岡で「集団N39」を結成。同年、第6回シェル美術大賞展において第3席受賞。「集団N39」は東北を拠点とした新たな前衛美術運動として注目されるが、次第にその活動は停滞、形式ばかりの存続を潔しとせず、69年解散を決意するに至る。68年に仙台へ転居していた村上は70年から、やはり数字や記号を取り入れた「気象シリーズ」に着手、ブルーやグレーを基調色として再び描写による制作を始める。続く「貨車シリーズ」では、「積空」「ワム」「テム」など、興味を抱いた貨車記号のイメージを独自の詩的解釈に基づいて画面に再構成していった。82年、弘前大学教育学部教授就任に伴い弘前に拠点を移す。津軽の民俗的大気に魅せられた村上は新たに「釘打ちシリーズ」を構想。津軽凧の裏打ちに使われていた古文書に思いがけなく美を発見。裏返して画面に貼り付け点を打ち線で結ぶ構成により津軽の記憶とイメージを形象化していった。2004(平成16)年盛岡に戻った後は、アトリエを花巻に置いて制作を続けていた。2005年には川崎市岡本太郎美術館を立ち上げとして回顧展「北に澄む」が開催された(萬鉄五郎記念美術館等に巡回)。翌06年には岩手町立石神の丘美術館で「村上善男展―1950年代を中心に 冷たい計算から熱い混沌へ…」が催されるが、村上自身は開催を目前にして世を去るかたちとなった。また美術家としてのみならず研究家としても知られ、萬鉄五郎をはじめ郷土に纏わる著述を特に多く残している。主な著書に『松本竣介とその友人たち』(新潮社、1987年)、『萬鉄五郎を辿って』(創風社、1997年)、『東北という劇空間』(創風社、2004年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(369頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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