山田常山

没年月日:2005/10/19
分野:, (工)

 陶芸家で「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者の三代山田常山は、10月19日午後5時6分、転移性肝がんのため愛知県常滑市の病院で死去した。享年81。1924(大正13)年10月1日、愛知県常滑市に祖父・初代山田常山、父・二代常山と二代続く急須づくりを専門とする陶家の長男として生まれる。本名は稔。祖父は妥協を許さない厳しさと精緻な作風で名工と謳われ、父もその技を継承した名手として名を馳せた陶工であった。その二人に少年のころから基礎的な陶技を学び、中学に入るころには急須づくりを始める。1941(昭和16)年、愛知県立常滑工業学校窯業科を卒業。翌年、常滑にある愛知県陶器試験場に入所し、窯業に関する専門知識を学ぶ。46年からは本格的に修業するため、父・二代常山に師事する。48年、同志と常滑工芸会を設立。同年、第1回常滑陶芸展で「朱泥茶注」が常滑町長賞を受賞し、作家としてのデビューを果たす。また、この頃から父の号であった小常山を名乗る。58年、ブリュッセル万国博覧会の日本第三部陶器類でグランプリを受賞。同年、第5回日本伝統工芸展で横手タイプの朱泥の急須が初入選し、以後、同展を中心に活動を展開する。初入選は朱泥の急須であったが、その後は朱泥土に二酸化マンガンを混ぜ込んだ紫泥や烏泥、自然釉の急須を出品しつつその存在を知らしめていく。61年、名古屋の百貨店で初の個展を開催。また同年に父の死去に伴い、三代常山を襲名する。三代常山の急須は、地元で産出される粘りの強い朱泥土(田土)を用い、本体、注口、把手、蓋のすべてを、轆轤を使って成形し、それらを組み立ててつくり上げる。技法からみると、朱泥土をベースとした、朱泥、紫泥、烏泥に加え、象牙色の白泥、古常滑を祖とする自然釉や、土そのものの風合いを生かした焼き締めによる南蛮などがある。また、表面の装飾を伴う技法では、窯変を利用した緋襷や、常滑独特の海藻を用いた藻掛、炭化焼成する燻しに加え、梨の肌を思わせる梨皮や、糸を巻いたような糸目、櫛状の道具で線を引いた櫛目などがある。形のバリエーションは広く、胴部が算盤の玉のように張り出した算盤形や、鎌倉期の古常滑の壺を思わせるような肩が大きく張った鎌倉形、そのほかにも野菜や果物をはじめ、身近にあるさまざまなものから着想を得た形などがあり、煎茶具として用いる伝統的なものから、北欧のデザインに触発されたモダンなものまで、100種類以上を優に超える。また把手の付き方では、注口と一直線上に把手が付く茶銚、一般によく知られる横手や把手がなく注口だけの茶注、把手がなく注口が胴部に受け口のように付く宝瓶、注口が胴部と一体となった絞り出し茶注がある。これらには古典に敬意を表しながら、形や意匠などを試行錯誤で探った成果がしっかりと映し出され、すべてに卓越した轆轤技術があってこそ生み出される、手づくり急須のスタイルが確立されている。1993(平成5)年、日本陶磁協会賞受賞。翌年の94年には、「陶芸 ロクロによる手造り朱泥急須技法」で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。96年、勲五等瑞宝章受章。97年には愛知県陶磁資料館で「常滑急須―山田常山三代展」が開催され、その全貌とともに、祖父や父の作品も紹介される。98年には「常滑焼(急須)」の重要無形文化財保持者に認定。2004年、旭日小授章を受章する。また三代常山は、早くから後進の指導にも積極的で、75(昭和50)年に「常滑『手造り急須』の会」が設立されると会長に就任し、30年に亘り模範的な活動を通して技術の継承に尽力し、多くの後進を育て上げるとともに、急須の発展に貢献した。

出 典:『日本美術年鑑』平成18年版(391-392頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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