米陀寛

没年月日:2005/08/28
分野:, (日)

 日本画家の米陀寛は8月28日午前7時4分、多発性脳こうそくのため宇都宮市の病院で死去した。享年88。1917(大正6)年栃木県宇都宮市に生まれる。1936(昭和11)年下野中学(現、作新学院高等学校)を卒業し、神奈川県横須賀市の海軍航空技術廠科学部に入所。同年中村岳陵に入門するが、37年日中戦争の勃発に伴い現役入隊し、41年までの四年間にわたり中国大陸を転戦する。除隊した翌年の43年第6回新文展に「好日」が初入選。44年戦況の悪化により再応召を受け、飛行機整備兵として入隊。終戦後は宇都宮に戻り、同地で画家としての本格的な道を歩み始める。しばらく日展や院展、創造美術展春季展に出品、入選するも、50年代より日展への出品を重ね、67年第10回新日展で「牛」が特選、69年改組第1回日展で「北辺」が特選・白寿賞を受賞、82年日展会員となる。この間、67年「老人と軍鶏」で日春展奨励賞を受ける。その他文化庁現代美術選抜展、山種美術館賞展等に出品。個展は78年銀座松屋、81年銀座・北辰画廊、上野東武(創作陶芸個展)、88年二荒山神社宝物殿などで開催。戦前の一時期を除き、一貫して宇都宮を足場に活動を続け、“牛の米陀”と呼ばれるほどに実在感溢れる牛馬を多く描いた。いっぽう59年川治温泉・柏屋ホテル大浴場陶壁「牡鹿」を制作以来、全国各地の学校、病院、会館、図書館、ホテル等、益子焼による陶壁画を手がけた。その他81年日光二荒山神社男体山山頂鎮座1200年祭記念の大絵馬、83年宇都宮二荒山神社斎館襖絵を制作、また日光東照宮の絵馬の原画を十数年来描くなど、幅広い活動を展開した。81年栃木県文化功労賞受賞。84年『米陀寛画集』(下野新聞社)刊行。1999(平成11)年には宇都宮美術館で回顧展が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成18年版(390頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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