金城次郎

没年月日:2004/12/24
分野:, (工)

 陶芸家で、「琉球陶器」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された金城次郎は、12月24日午後10時45分、心筋こうそくのために死去した。享年92。1911(明治44)年、沖縄県那覇市に生まれる(入籍は翌年)。25(大正14)年、那覇市壺屋の名工新垣榮徳に師事。この年、新垣を通じて生涯交流を続けた陶芸家浜田庄司と出会う。金城は戦前、沖縄の伝統的な工芸を評価した柳宗悦の民藝論の薫陶を受け制作に励んだという。1939(昭和14)年、雑誌『工藝』第99号以降、同誌でしばしば紹介される。45年召集され、読谷で飛行場建設、その後壺屋の東窯で軍需品の製作に従事する。恩納村で捕虜となり、石川の収容所に収容される。同年11月、陶器製造先遣隊の一員として壺屋に帰る。46年壺屋で米軍よりかまぼこ形兵舎を払い下げて工房を開く。窯は新垣榮徳の登り窯を共同使用した。51年、戦後窮乏した壺屋の陶工を救うべく、浜田庄司ら民芸関係者の尽力により開催された第1回琉球民藝展(於東京、日本民藝協会主催)に出品。54年第6回沖縄美術展覧会(沖展)工芸部門新設に伴い新垣栄三郎、小橋川永昌と出品。この年、新垣と第1回陶芸二人展開催。55年、第29回国画会公募展(国展)初入選。この頃、益子(栃木)、龍門司(鹿児島)の窯を訪問、その後丹波、九州などの窯を機会あるごとに視察。56年、第30回国展出品「呉須絵台付皿」が新人賞、57年第31回国画展で「抱瓶黒釉指描」が国画賞受賞、同年、国展推薦新会友となる。この年、ルーマニア国立民芸博物館に作品が永久保存される。64年第18回全国民芸大会が沖縄で開催され、浜田庄司バーナード・リーチが壺屋を訪問。66年明治神宮例大祭奉祝第4回全国特産物奉献式に「長型花瓶」奉納。67年、第1回沖縄タイムス芸術選奨大賞受賞、日本民藝館展入選。69年リーチの再訪を受ける。同年、第43回国展会友優秀賞受賞。この年、壺屋の登窯から出る煙が公害問題として表面化、壷屋の陶工ら、窯の使用回数を減らす。71年第1回日本陶芸展入選。72年、煙害から読谷村字座喜味に移り、初めて自分の登窯を開く。同年、沖縄県指定無形文化財技能保持者に認定。73年、国画会会員となる。77年、現代の名工百人に選ばれる。78年末、脳血栓で倒れ、約4か月間静養後、手足に麻痺が残るが復帰。81年、勲六等瑞宝章受章。85年、「琉球陶器」の技法により、沖縄で初めて重要無形文化財保持者に認定された。2003(平成15)年、那覇市立壺屋焼物博物館にて「壺屋の金城次郎」展開催。卓越した轆轤の技術、線彫、指描などあらゆる壺屋の伝統的な技法を駆使し、壺屋に伝わる伝統的な器形、文様に基きながら、工夫を凝らしてバリエーション豊かな作品へと昇華させ、素朴で親しみやすい日常陶器を生涯作り続けた。躍動感溢れる魚文、海老文の線彫文様は特によく知られ、浜田庄司は、金城以外に魚や海老を笑わすことは出来ないと絶賛したという。作品集に、『金城次郎の世界』(沖縄タイムス社・読谷村、1985年)、『琉球陶器 金城次郎』(琉球新報社、1987年)、『人間国宝 金城次郎のわざ』(宮城篤正/源弘道監修、朝日新聞社、1988年)、『沖縄の陶工人間国宝金城次郎』(日本放送協会出版、1988年)、著書に『壺屋十年』(上村正美監修・構成、用美社、1988年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(361頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「金城次郎」が含まれます。
to page top