南桂子

没年月日:2004/12/01
分野:, (版)
読み:みなみけいこ

 銅版画家の南桂子は、12月1 日午後6時58分、心不全のため東京都港区の病院で死去した。享年93。本名浜口桂子。1911(明治44)年2月12日、富山県射水郡に生まれる。1928(昭和3)年、富山県立高岡高等女学校を卒業。45年、34歳で東京に移り住み、佐多稲子の紹介で壺井栄に童話を学んだといわれる。49年、第13回自由美術展に油彩画「抒情詩」を出品(出品者名は竹内桂子)。同年油絵を師事した森芳雄のアトリエで浜口陽三と出会う。50年、第2回日本アンデパンダン展、第14回自由美術展に出品する。51年第5 回女流画家協会展に「風景」を出品。その後も同会には52年、53年、55年、56年(出品目録の記載は南佳子)に出品したほか、日本アンデパンダン展(51年、52年)や自由美術展(51年から53年)に、主に油彩画を出品した。52、53年は朱葉会(連立4回と5回)にも出品。53年には東京の丸善画廊で吉田ふじを・友田みね子・南桂子三人展を開催している。54年渡仏、パリでは浜口陽三とともに暮らし、フリードランデルの版画研究所でアクアチントを学ぶようになる。54年に第18回自由美術展に銅版画「占い師」「小鳥と少女」を出品。翌55年、自由美術家協会会員に推される。同年の日本アンデパンダン展にも銅版画を出品した。56年、フランス文部省がアンデパンダン展に出品した「風景」を買い上げる。58年にはユニセフによるグリーティングカードに「平和の木」が採用された。パリにいながら自由美術展には22回まで出品を続ける。50年代末から70年代にかけては東京やリュブリアナの国際版画ビエンナーレ、タケミヤ画廊での銅版画展、国内外で開催される日本の現代版画を扱う展覧会にも多数出品している。この時期、個展はニューヨークやサンパウロ、ハイデルベルグなど各地で開かれ、浜口との二人展を含めて国内でも多数の発表の機会を持った。また、日本版画協会展(59年27回、64年32回、65年33回、66年34回、82年50回)、現代日本美術展(60年4回、64年6回、66年7回、68年8回)、日本国際美術展(61年6回、63年7回、65年8回、67年9回)、国際形象展(69年8回から72年11回まで)などにもパリから出品している。61年から81年まで、パリの画廊と専属契約を交わす。81年にはサンフランシスコに移り、日本に帰国したのは1996(平成8)年だった。南は、硬質な線を用いて少女や樹木、鳥などのモチーフを繰り返し描き、陰影を伴わない静謐で幻想的な空間を作り出した。神奈川県立近代美術館で61年にフリードランデル・浜口陽三南桂子版画展が開かれたほか、90年には高岡市美術館で個展が開催された。浜口陽三との二人展は、高岡市美術館では95年に、また練馬区立美術館では2003(平成15)年に、01年には高岡市美術館で宮脇愛子との二人展が開催されている。また、98年には東京・日本橋蛎殻町に美術館「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」が開館し、南作品も常設展示される。05年4月には同館で追悼展、06年4月南桂子―bonheur―展が開かれている。70年に谷川俊太郎の詩集『うつむく青年』の装画を手がける。作品集は、手のひらに収まる『限定版南桂子の世界 空・鳥・水…』(美術出版社、1973年)のほか、『南桂子全版画作品集』(中央公論美術出版、1997年)、『南桂子作品集 ボヌール』(リトルモア、2006年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(360頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「南桂子」『日本美術年鑑』平成17年版(360頁)
例)「南桂子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28314.html(閲覧日 2024-03-19)

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